駒込富士神社
駒込富士神社は、東京都文京区の、東京メトロ南北線の本駒込駅より北へ徒歩8分の地に位置する神社。
天正元年(1573年)に現・東京大学本郷キャンパスに駿河の富士浅間社を勧請し、後にその地が加賀藩主前田家上屋敷の敷地となった寛永5~6年(1628~9年)頃に現在地に遷座。なお、もともと現社地には既に延文年間(1356-60年)には富士塚があったという。
また本郷地区には元宮に相当する元富士神社の祠がある(後述)。
異伝では、寛永5年(1628年)に本郷の当初の位置から、別当寺であった真光寺(本郷三丁目駅の近くにあったが第二次大戦後に世田谷区給田に移転)の境内に遷り、更に享保2年(1717年)に現社地に遷ったとも言う。
下浅間社(赤堂)の扉は通常は閉ざされているが、山開祭(大祭)の時にはこのように開扉される。中には厨子がある。
駒込富士は古墳を改造したものとの説がある。斜面には富士山麓から運んだ黒ボク(富士山の溶岩)が敷き詰められ、加賀鳶を始めとする鳶職の建てた石碑が立ち、ペンキで鮮やかに彩色されている。
社殿は昭和36年にRC造で建立。
曽我霊社は、仇討ちで有名な曽我兄弟を祀った石祠。歌舞伎役者らが、曾我物語の狂言が当たったことに謝して1711年に建立。
一富士二鷹三茄子
「一富士二鷹三茄子」という語句は、初夢に見ると縁起が良いとされるものを列挙した句であり、その語源には諸説がある。
当社では、これは「駒込は、一富士、二鷹、三茄子」を指す言葉で、一富士は駒込富士神社のこと、二鷹は駒込にあった徳川吉宗の鷹匠屋敷のこと、三茄子は良質で有名だった駒込ナスのことである、としている。
年中行事
山開祭
毎年6月30日~7月2日に、山開祭が開催され、露店が比較的多く出る。また縁起物として富士山型の麦落雁や麦藁蛇も売られる。この行事に関する詳細は「駒込富士神社 山開祭」の記事を参照。
納涼盆踊り大会
8月上旬には、境内で盆踊りが催される。
鎮火祭
8月28日の夕刻に開催される鎮火祭は山じまいの祭礼で、式典の後、井桁に積まれた松明を燃やす。この行事に関する詳細は「駒込富士神社 鎮火祭」の記事を参照。
元富士神社
前述のように、駒込富士神社は元は本郷にあったと伝える。現在、本郷には元宮に相当する元富士神社が鎮座する。また旧町名の本郷元富士町は当社に由来する(現在は本富士警察署の名に残っている)。
ただし、元富士神社も江戸時代は富士権現社として加賀藩邸内の別の場所にあり、明治以降に加賀藩邸が東京大学の構内となってから、現在地に遷った。東大構内の富士塚も赤門の裏の経済学部棟辺りに残っていたが、昭和49年に取り壊された。