弘法寺
弘法寺は、千葉県市川市の、京成本線の国府台駅より北東へ徒歩8分の地に位置する日蓮宗寺院。山号は真間山。
日蓮宗49本山の一つ(日蓮・法華宗諸派のうち教団「日蓮宗」には、総本山久遠寺の下に、七大本山と49本山があり、合わせて57本山とも称する)。
奈良時代の天平9年(737年)、行基が当地にて、万葉集にも歌われた美女の手児奈の菩提を弔う求法寺を創建。平安時代の弘仁13年(822年)には弘法大師空海が弘法寺と改称し、元慶5年(881年)に天台宗に、鎌倉時代の建治元年(1275年)に日蓮宗に改めた。
飛地境内の手児奈霊神堂と併せて、境内は寺格に相応しい佇まいとなっている。
この橋は万葉集の歌枕ともなった「真間の継橋」のモニュメント。正面奥には弘法寺の石段と仁王門がが見える。また右手には手児奈霊神堂がある。
仁王門は江戸時代の建立。
祖師堂は平成22年建立。
鐘楼は明治の大火の災禍を免れたものと公式HPにあるが、書籍によっては明治26年や昭和6年の建立とある。
左は本殿、右は客殿(寺務所)。
赤門(中雀門)は江戸初期の寛永年間(1624-1645年)建立。
赤門内は庭園整備されている。
真間道場は、公式HPでも旧寺務所、旧本堂、旧書院などと表記が揺れている。旧書院だとすれば昭和6年建立。
大黒堂(太刀大黒尊天堂)は昭和51年建立。
里見龍神堂は昭和33年建立。
弘法寺古墳は境内南西にある、全長43mの前方後円墳。6世紀後半~7世紀前半頃の築造だが、台地の崩壊で半壊している。
弘法寺 手児奈霊神堂
手児奈霊神堂は、弘法寺の南東にあるその飛地境内。上述のようにそもそも弘法寺自体が天平9年(737年)に美女の手児奈の菩提を弔う寺として創建したと伝える。室町時代の文亀元年(1501年)、手児奈が霊夢に現れ加護を約して以来、市川真間の守護神として祀られた。
現在は手児奈霊神堂または手児奈霊堂と呼称するが、明治維新の神仏分離までは手児奈明神と呼ばれ、神社にも近い性格であった。
手児奈伝説は「当地に住む手児奈は大変な美女で、彼女をめぐって男たちが争いを起こし、それを悲しんだ手児奈は海に入水して(当時はこの辺は海辺だった)、翌日遺体が打ち上げられ葬られた」というもので、これが都に伝わり万葉集に歌われたとされる。
真間稲荷神社
真間稲荷神社は、手児奈霊神堂と境内が地続きとなっている、真間の鎮守。明治維新の神仏分離で手児奈明神が仏堂に位置づけられると、真間稲荷は神社として分離された。
創建年代は不詳。社殿は昭和10年築。
例大祭
真間稲荷神社の例大祭は10月上旬の開催で、宮神輿が毎年渡御する。また子供用に菓子神輿も巡行する。この行事に関する詳細は「真間稲荷神社 例大祭」の記事を参照。