見沼通船堀
見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)は、JR武蔵野線の東浦和駅より南東へ徒歩4分の地に位置する、閘門式運河。
江戸中期の享保16年(1731年)に開通したもので、閘門式運河では日本最古級であり、国指定史跡となっている。
芝川と、芝川とは高低差のある見沼代用水との間を舟で通行できるよう、閘門を使って水位を調整した運河で、合計700mのうちに閘門が4ヶ所あり、毎年8月下旬には閘門の開閉も実演される。
また運河の周辺には、通船差配役であった鈴木家の住宅や、通船関係者の信仰を集めた水神社・木曽呂富士塚なども残る。
西縁通船堀は、芝川と見沼代用水西縁を結ぶため芝川の西側に開かれた通船堀で、JR東浦和駅近くの見沼通船堀公園で見沼代用水西縁から分岐し東へ芝川まで通じている。
西縁には2ヶ所の関(閘門)があり、舟が通る際の水位を調節した。
東縁通船堀は、芝川と見沼代用水東縁を結ぶため芝川の東側に開かれた通船堀で、東は木曽呂富士塚の麓で見沼代用水東縁と合流している。
東縁にも2ヶ所の関(閘門)があり、舟が通る際の水位を調節するのに使用した。
浦和博物館には、見沼通船堀閘門の縮小模型が展示されている。
鈴木家住宅
幕府に通船差配役(積荷や船頭の割り振り等に従事)を命じられた鈴木家は江戸在住だったが、文政年間(1818-1830年)以降は現在に移住した。移住当時の母屋・米倉その他が通船堀近くに現存し、史跡の指定範囲に含められている。また週末には米倉と納屋が公開される。
水神社
通船関係者の信仰を集めた水神社は、通船堀が開通した翌年の享保17年(1732年)創建。水神・罔象女命を祀る。史跡に追加指定されている。現在の社殿は大正13年再建。
木曽呂の富士塚
木曽呂の富士塚もまた、通船関係者の信仰を集めたため、史跡に追加指定されている。寛政12年(1800年)築造で、県内では現存最古の富士塚。また全国で5基しかない<国指定重要有形民俗文化財の富士塚でもある。
なお、この富士塚は通船堀にほぼ隣接しているものの、川口市内にある。