七曲井
七曲井(ななまがりのい)は、埼玉県狭山市の、西武新宿線の入曽駅より北へ徒歩7分の地に位置する、すり鉢状の古井戸。
掘られたのは建仁2年(1202年)との説もあるが、平安中期に武蔵国府が掘ったと考えられている。また伝説では、奈良時代の宝亀8年(777年)の開削あるいは、景行天皇の代に日本武尊が東征中に開削した、といったものがある。
井戸は江戸中期まで使用された記録があるが、その後は埋もれ、昭和45年に発掘復元された。埼玉県指定史跡。
七曲井は周囲70m、上部直径が18~26m、底部直径が5m、深さ11.5mの、漏斗状の井戸。井戸に降りる道の形状(七曲道)が名称の由来とされる。
外周には水神宮の祠も祀られている。
七曲井の脇には観音堂がある。創建は鎌倉時代の建仁2年(1202年)で、文保2年(1318年)の旱魃の際に村人が観音に祈り古井戸を浚うと水が湧出した、との伝説が残る。
現在は常泉寺(狭山市北入曽315)の飛地境内で、堂は平成14年の再建。
七曲井と堀兼之井
現在、七曲井は、武蔵野の歌枕として歌われた堀兼之井の一つと言われている。堀兼之井の存在は平安時代には中央に知られていたが、具体的にどの井戸を指すのかは当時から不明であった。
七曲井も、下記の入間野神社や野々宮神社の社伝では堀兼(堀難)ノ井として名が出てくる。また当地の小字名は「堀難井(ほりがたい、ほりかねい)」という。
江戸中期の宝永5年(1708年)、川越藩主・秋元喬知が、伝聞に基づき、堀兼神社境内の井戸に、堀兼之井とする石碑を立てて以降は、一般に堀兼之井といえばこの井戸を指すようになった。
七曲井と関係する神社
入間野神社
入間野神社は七曲井のすぐ近くにある。景行天皇40~41年(西暦110~111年)、東征中だった日本武尊が堀兼ノ井(七曲井のこと)を掘った際に国井神社として創建され、天平20年(748年)には御嶽蔵王を勧請して御嶽権現と称したと伝える。明治44年に入間野神社と改称。
境内の入間招魂社は、入間尋常高等小学校(現・入間小学校)の旧御真影奉安殿(昭和15年建立)を移築したもの。
野々宮神社
野々宮神社も七曲井の近くにあり、倭姫命を主祭神とする。景行天皇の代、日本武尊は東征の帰路に堀難ノ井(七曲井)を掘らせた。その薨去後、叔母・倭姫命の一族が当地に移住・開拓し、日本武尊と倭姫命を祀る当社を創建した。現在も続く社家の宮崎家は神武東征に従って日向より大和入した家柄で、勅命で東国に下り、当地にて大日霊貴命と御杖代としての倭姫命の奉斎と入間路の警備及び七曲井の管理に当たったと伝える。