清泉女子大学 旧島津家本邸

清泉女子大学 旧島津家本邸清泉女子大学は、東京都品川区の、JR山手線・都営浅草線の五反田駅より北東へ徒歩9分の地に位置する私立大学。
そのキャンパスは明治期から昭和初期にかけては旧薩摩藩主・島津公爵家の本邸があった地で、当時の本館と事務所が残り、国の重要文化財に指定されている。
旧本館は5~6月及び10~12月に、各月に2日程、事前予約制のツアー形式で公開される。また、ツツジの時期のガーデンパーティーや11月の学園祭「清泉祭」では、予約不要で公開される。

本館 東面
清泉女子大学 旧島津家本邸
本館 西面
清泉女子大学 旧島津家本邸
本館 南面
清泉女子大学 旧島津家本邸

本館はジョサイア・コンドル設計で煉瓦造・白タイル張り。国指定重要文化財
一般に大正6年竣工とされるが、大学HPには、建物は大正4年竣工で、館内の設備や調度が整えられて大正6年に落成、とある。

本館内
清泉女子大学 旧島津家本邸
 
清泉女子大学 旧島津家本邸
芝庭
清泉女子大学 旧島津家本邸

写真右側の樹は樹齢200年の台湾フウで、品川区指定天然記念物。

ツツジ
清泉女子大学 旧島津家本邸

当地は江戸期からツツジの名所であった。

旧事務所
清泉女子大学 旧島津家本邸

家政を司った旧事務所は大正6年頃の竣工で煉瓦造。国指定重要文化財

島津本邸の沿革

現在の清泉女子大学の敷地は江戸時代、元文2年(1737年)に鯖江藩主間部家の下屋敷を、仙台藩主伊達家が取得して下屋敷とした地であった。
維新後は、明治6年頃に旧薩摩藩主島津家の所有となり、その後に島津家の東京本邸も浜町から当地に移転。明治12年には和館(現存せず)が、大正6年には洋館が竣工。ただし、竣工当時は主に迎賓施設として使用され、当主・島津忠重が居住するようになったのは大正12年の関東大震災以後と言う。
昭和4年、金融恐慌で苦境に陥った島津家は敷地の2/3を売却し、更に同19年には残り全ても日本銀行に売却。その後は、昭和21~29年までGHQに接収された。接収解除後の昭和36年、清泉女子大学が日本銀行から購入し、翌年に神奈川県横須賀から移転した。

清泉女子大学の沿革

昭和10年、カトリックの聖心侍女修道会により、港区六本木に創立された清泉寮が前身で、同13年、清泉寮学院が開設された。戦時下には、昭和19年に休校となり、翌20年には空襲で校舎が全焼。
戦後の昭和25年、横須賀市に清泉女子大学として設立され、昭和37年に現在地(島津家本邸跡)へ移転し、現在に至る。

清泉女子大学 公式HP
東京都品川区東五反田3-16-21 地図
アクセス:JR山手線・都営浅草線 五反田駅より徒歩9分
品川区
エリアガイド
品川区 | 東京都
港区の南隣り。大崎、大井町など