千葉神社
千葉神社は、千葉県千葉市の、JR千葉駅(総武線・成田線・外房線・内房線)・京成千葉駅より東へ徒歩11分、または千葉都市モノレール1号線葭川公園駅から北東へ徒歩8分の地に位置する鎮守社。
戦前の社格は県社。県都・政令市である千葉市の代表的な神社。
平安末期から戦国期にかけて当地で勢力を振るった千葉氏は妙見菩薩を信仰したが、当社はその中心的存在で、現在も妙見本宮を名乗る(沿革は後述)。千葉氏旧領には、現在も妙見宮から明治以降に改称した星宮神社が多数残る。
RC造の社殿は戦後に再建された、特徴的で大規模なもの。また境内は千葉市の史跡に指定されている。
尊星殿は楼門兼社殿で平成10年竣工。中央一階にある福徳殿に北辰妙見尊星王を、東の日天楼に日天神を、西の月天楼に月天神を祀る。
福徳殿は北辰妙見尊星王の分霊を祀る八角の社殿。方位方角・五行・十二支・人間の身体各部等の役割を8星宮が守護する。
手水舎は明治期の建立。当社において、昭和20年の空襲で焼失を免れた唯一の建造物。
一階・二階双方に拝殿がある。平成2年建立。
主祭神として、北極星及び北斗七星の神格化である北辰妙見尊星王(天之御中主大神)を祀る。
妙見池には「ねがい橋」と「かない橋」が掛かる。
延寿の井ではお水取りが可能。
摂社・千葉天神は寿永元年(1182年)勧請。
祈祷殿は、昭和29年に再建された本社(千葉神社)社殿を移築。
境外末社 香取神社
境外末社・香取神社は千葉神社の地主神。
千葉神社の沿革
平安末期、関東に移住し千葉氏の遠祖となった平良文は高崎市の妙見寺を尊崇して自らの館に妙見菩薩を勧請。以降、子孫は代々居館を移る度に妙見宮をその館に祀った。
またそれとは別に良文の孫の忠常は、当地にあった香取神社の境内(香取山)に妙見宮を勧請して祠を建て、長保2年(1000年)にはその祠を元に北斗山金剛授寺を中興開山した。これが現在の千葉神社の境内である。
更に大治元年(1126年)、千葉常重は大椎城(緑区大椎町)から亥鼻城(中央区亥鼻)に移る際、城内の妙見宮を金剛授寺の妙見宮に遷座・合祀し、後の千葉神社の原型となった。
当社は江戸時代は妙見寺と称したが、明治2年の神仏分離令では、神式の妙見大祭を継承すべく神社となることを選び、別当寺妙見寺を廃して千葉神社と改称した。
なお、前述の香取神社は仁和元年(885年)勧請で、現在は地主神として境外末社となり、千葉神社の少し東に鎮座する。
妙見大祭
妙見大祭(例祭)は毎年8月16日から一週間行われる。8月16日に宮神輿が神社を出御し亥鼻山麓の御仮屋に一週間逗留、8月22日に神社に還御する。祭りが七日間なのは妙見信仰に縁深い北斗七星に因む。
また神輿を先導する大太鼓を打つの音が「だらん、だらん」と聞こえることから通称「だらだら祭り」と呼ぶ。