玉前神社
玉前(たまさき)神社は、千葉県長生郡一宮町の、JR外房線の上総一ノ宮駅より北西へ徒歩7分の地に位置する大社。
上総国一宮。戦前の社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
往古は玉埼神社とも称した(明治維新時の神仏分離まで当社の別当寺であった観明寺の山号も玉崎山である)。
創建については、神武天皇の代から平安時代まで、複数の伝承がある(後述)。永禄年間(1558-1570年)の兵火で焼失して現・旭市飯岡の玉﨑神社付近に仮遷座し、天正5年(1577年)に一宮に復座。
祭神は玉依姫命(神武天皇の母)だが、かつては玉前命や天明玉命との説もあった。
斎館は昭和15年竣工。その前には樹齢150年の五葉松が茂る。
手水舎は江戸後期の1828年建立。四隅の柱は八角柱。
社殿は本殿・幣殿・拝殿を連結した権現造で、江戸中期の1687年建立。千葉県指定有形文化財。
神楽殿は江戸中期の1722年建立。
招魂殿は一宮町出身の戦没者を祀る。社殿は大正12年建立。
十二社は一宮町内にあった12社(愛宕、三島、粟島、塞、浅間、山ノ神、日枝、八幡、熊野、白山、水神、蔵王)の14柱を明治元年に合祀した社。現在の社殿は昭和24年建立。
これらの他の境内社としては、玉前稲荷神社がある。
御神水および八方除の8つの石。この隣には水琴窟「珠琴泉」もある。
はだしの道は、裸足で3周するとご利益があるとうたっている。
槇の群生は一宮町指定天然記念物。イヌマキ約20本が群生しており、うち一本は樹齢300年。
創建の伝承
創建年代については、以下のような複数の伝承がある。
- 神武天皇の代(BC660年-BC585年)に創建
- 景行天皇34年(AD104年)、民が霊夢に従い太東岬に赴き明珠を得たので創建
- 景行天皇53年(AD123年)、天皇が東国巡幸中に創建
- 大宝年間(697-706年)、民が霊夢で貴人に「我が子を迎えにきて玉前大明神として祀れ」と告げられたので太東岬に赴き、霊珠の入った錦袋を得たので祀って創建。一説に12個の珠だったので6社に分けて祀った
- 大同元年(806年)、釣ヶ崎で発光する8個の玉を民が得て家に置くと霊夢で玉依姫の霊と分かり朝廷に奏上、天皇も霊夢を見て勅で玉前神社など6社を創建し玉を分納
- 嘉祥元年(848年)、敬崇上人が観明寺を創建後、釣ヶ崎で龍神に祈ること100日、沙羅龍王三女の玉依姫が十二戈処の神とともに海から現れたのを祀って鎮守・玉崎(玉前)明神を創建
なお、海岸に漂着した玉を当社に納めたとの伝承は、創建伝承以外にも複数ある。
また、神体は黒い玉で、鵜草葺不合命(神武天皇の父)が舐めた玉を玉依姫が持参したもの、との伝承もある。
当社に関連する神代の伝承
社伝では、記紀神話でホホデミ(山幸彦、神武天皇の祖父)が釣りをした日向とは日向国(現・宮崎県)のことではなく日に向かっている地の意で、これは太東岬のことであり、一宮町内の釣ケ崎が釣りをした神跡だとする。
上総十二社祭り
毎年9月8~14日に催される「上総十二社祭り」は玉前神社などの例祭。千葉県指定無形民俗文化財。
13日には玉前神社をはじめ、同町内の南宮神社、いすみ市の玉崎神社・椎木玉前神社・谷上神社の計5社から9基の神輿が集結し、釣ヶ崎にて裸に近い姿で神輿を担ぐことから「上総裸祭り」とも呼ばれる。集う神社には時代により多少変遷がある(なお、「十二社」とは6社の神輿12基を指す)。
玉前神社祭神・玉依姫命が出現した釣ヶ崎に、一族の神々が再会する様子を表したとされる祭礼。