船橋大神宮(意富比神社)
船橋大神宮(意富比神社)は、千葉県船橋市の、京成本線の大神宮下駅より北へ徒歩2分の地に位置する、船橋の鎮守。
戦前の社格は県社。また江戸時代は関東一宮とも名乗った。
景行天皇40年(西暦110年)、東征中の日本武尊が当地の海神村に神鏡を祀ったのが創祀で、後に現在地に遷座したと伝える(詳細は後述)。
中世から幕末までは船橋神明と称されていたが、明治維新で意富比神社と復称。
端正な本社社殿のほか、鮮やかな常磐神社、舟に乗った船玉神社、明治期の灯明台など、境内は充実している。
拝殿は明治22年建立。
本殿は明治7年建立。
透塀内で本殿の後方にある社殿。
船玉神社は平成18年建立。社殿は舟に乗ったデザインとなっている。
10月20日の例大祭では相撲が奉納されるが、これは1590年に行われた徳川家康の上覧相撲を起源とする。
天之御柱宮はいわゆる招魂社。昭和27年建立。
豊受姫神社(外宮)の社殿は、伊勢神宮内宮の由貴御倉を平成27年に移築。
左から末社合殿、猿田比古大神碑、三峯神社。
末社合殿は五間社で、左から粟嶋神社・根神社、祈年穀神社・岩長姫神社、阿夫利神社・大山祇神社、事代主神社・大国主神社、水神社・産霊神社を祀る。
ともに五間社で、左の合殿は、左から八幡神社、竈神社、龍神社、道祖神社、客人神社・多賀神社を祀る。
右の合殿は、左から岩島神社・住吉神社、祓戸神社・春日神社、香取神社・鹿島神社、玉前神社・安房神社、天満宮・天神社を祀る。
神池の対岸には富士塚と浅間神社がある。
客殿は旧真名小学校(明治18年竣工)。通常は非公開だが、正月に行くと常は閉ざされている客殿への門が開けられていた。
灯明台
灯明台は明治13年竣工。明治28年に停止まで政府公認の私設灯台だった。和洋折衷で、一・二階は和風、三階は洋風の灯台。千葉県指定有形民俗文化財。正月三が日に公開される。
常磐神社
常磐神社は日本武尊・徳川家康・秀忠を祀る。鮮やかな社殿は平成27年竣工。
通常は唐門は閉じられているため、本殿は唐門越しに覗き見ることになるが、正月には唐門は開かれ、本殿を間近に参拝できる。
本町八坂神社 & 湊町八剱神社
社殿(神輿庫)には左に本町八坂神社の、右に湊町八剱神社の神輿が収まる。神輿自体が神社という位置づけで、祭礼の時に一時的に神霊を乗せるのではなく常に神輿に鎮座する。
湊町八剱神社の天王祭は7月下旬で、神輿は毎年金曜日に氏子地域を車渡御したのち市中心部に安置し、日曜日に担ぎ渡御を行う。
明治33年製作で、台輪幅は4尺1寸の大型神輿。
湊町八剱神社の天王祭は7月中旬で、神輿は3年毎に氏子地域を渡御する。
初詣
船橋大神宮の初詣には多くの参拝者が集う。常磐神社と灯明台が公開されるほか、神楽も奉納される。また露天商の屋台も多い。
境内には多くの露店が並ぶ。
神楽は船橋市指定無形民俗文化財。
創建伝承と元宮
当社の由緒では、景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊が東征中に当地で賊と戦ったが、旱魃で援軍なく苦戦した。そこで祈雨と賊平定を神に祈ると、海上に黒雲とともに船が現れた。その船は無人で神鏡が積まれており、日本武尊がその鏡を海神村に祀ったのが創祀と伝える。同53年(123年)、景行天皇が東国巡幸の際に、社を夏見村に遷座させ、更に後世に現在地に遷座(または海神村から直接現在地に遷座したとも)。
海神村は入日神社が、夏見村は日枝神社境内の神明社が元宮との伝承を伝えている。
入日神社
入日(いりひ)神社は、船橋大神宮の元宮と伝える神社。景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊が賊敵を討つ際、海上の船で神鏡を発見し伊勢神宮を遥拝した跡が旧社地(昭和期に国道14号の南から現在地へと遷座)で、朝日の宮たる伊勢神宮に対する入日の宮であることが社名の由来。後に遷座して船橋大神宮となったと伝える。
夏見日枝神社境内社 神明社
海神村(入日神社)から直接、船橋大神宮に遷座したという伝承と、海神村からまず夏見村に遷座し、更に船橋大神宮に遷座した、という伝承がある。現在、夏見日枝神社の境内社となっている神明社が船橋大神宮の元宮とされる。
実際の所は、夏見村のこの神明社は、伊勢神宮の荘園である夏見御厨に勧請されたもので、中世末に荘園が衰退し船橋大神宮に合祀されたと考えられている。
明治41年、神明社は夏見日枝神社と共に、現在地の南100mの地から遷座したという。