大多喜城跡
大多喜城跡は、千葉県夷隅郡大多喜町の、いすみ鉄道の大多喜駅より西へ徒歩20分の地に位置する近世城郭。
大多喜藩の藩庁跡で、財団法人日本城郭協会の続日本100名城に選定されている。
大永元年(1521年)に真里谷信清が築いた小田喜城が起源で、現在の形になったのは天正18年(1590年)に本多忠勝が城主となったとき。
本丸跡にはRC造の天守も建てられている。
本丸跡への車道
本丸跡の西側からは車道が伸びる(ここも旧城内)。
大多喜水道
大多喜水道は明治3年に完成した全長5.8km(うち隧道は4km)の上水道で、城下町へと水を供給した。
空堀
天守

本丸跡は千葉県指定史跡で、昭和50年に竣工したRC造の天守が立つ。天守が実在したかは諸説ある。
天守は千葉県立総南博物館(後に千葉県立中央博物館大多喜城分館)として建てられたが、現在は長期休館中。
本丸跡からの眺望
東側のすぐ下は二ノ丸跡(多喜高校)で、本丸跡から遊歩道が整備されている。
二ノ丸跡から見た本丸跡
二ノ丸跡は大多喜高校で、高校門前からいすみ鉄道の線路までが三ノ丸跡。水堀は埋め立てられ現存しない。
大井戸
大井戸は1590年の築城の際に開削。周囲17m・深さ20mあり、当時は井戸車16個を使用して水を汲み上げた。本丸跡の県指定史跡に附指定。
薬医門
この薬医門は、1842年焼失後に再建された二ノ丸御殿の門。明治4年に民間に移築され、大正15年に当校に移築、昭和40年代に解体保存・再建。本丸跡の県指定史跡に附指定。
夷隅川
城の南側には、天然の水堀である夷隅川が流れる。
大多喜藩の藩主家
大多喜藩は、1590年の本多忠勝の入封で成立した。この当時は10万石であった。本多家は1617年まで3代続いたが、以後は短期間で阿部家、青山家、阿部家、稲垣家と入れ替わる。1681年に大河内松平家が入るとようやく安定し、2万石で明治維新を迎えた。
大多喜城跡
アクセス:いすみ鉄道 大多喜駅より徒歩20分
大多喜駅近辺には、城下町や夷隅神社も残る。

スポットガイド
残る商家群

スポットガイド
大多喜の鎮守
大多喜城跡
大多喜城跡は、千葉県夷隅郡大多喜町の、いすみ鉄道の大多喜駅より西へ徒歩20分の地に位置する近世城郭。
大多喜藩の藩庁跡で、財団法人日本城郭協会の続日本100名城に選定されている。
大永元年(1521年)に真里谷信清が築いた小田喜城が起源で、現在の形になったのは天正18年(1590年)に本多忠勝が城主となったとき。
本丸跡にはRC造の天守も建てられている。
本丸跡への車道
本丸跡の西側からは車道が伸びる(ここも旧城内)。
大多喜水道
大多喜水道は明治3年に完成した全長5.8km(うち隧道は4km)の上水道で、城下町へと水を供給した。
空堀
天守

本丸跡は千葉県指定史跡で、昭和50年に竣工したRC造の天守が立つ。天守が実在したかは諸説ある。
天守は千葉県立総南博物館(後に千葉県立中央博物館大多喜城分館)として建てられたが、現在は長期休館中。
本丸跡からの眺望
東側のすぐ下は二ノ丸跡(多喜高校)で、本丸跡から遊歩道が整備されている。
二ノ丸跡から見た本丸跡
二ノ丸跡は大多喜高校で、高校門前からいすみ鉄道の線路までが三ノ丸跡。水堀は埋め立てられ現存しない。
大井戸
大井戸は1590年の築城の際に開削。周囲17m・深さ20mあり、当時は井戸車16個を使用して水を汲み上げた。本丸跡の県指定史跡に附指定。
薬医門
この薬医門は、1842年焼失後に再建された二ノ丸御殿の門。明治4年に民間に移築され、大正15年に当校に移築、昭和40年代に解体保存・再建。本丸跡の県指定史跡に附指定。
夷隅川
城の南側には、天然の水堀である夷隅川が流れる。
大多喜藩の藩主家
大多喜藩は、1590年の本多忠勝の入封で成立した。この当時は10万石であった。本多家は1617年まで3代続いたが、以後は短期間で阿部家、青山家、阿部家、稲垣家と入れ替わる。1681年に大河内松平家が入るとようやく安定し、2万石で明治維新を迎えた。
大多喜城跡
アクセス:いすみ鉄道 大多喜駅より徒歩20分
大多喜駅近辺には、城下町や夷隅神社も残る。

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残る商家群

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大多喜の鎮守