国府台城跡
国府台(こうのだい)城跡は、千葉県市川市の、京成本線の国府台駅より北へ徒歩18分の地に位置する、中世平山城跡。
文明11年(1479年)に太田道灌の弟太田資忠らが築いたとされ、後北条氏と足利氏や里見氏などとの合戦の舞台となり、戦勝した後北条氏のものとなったが、小田原征伐後に江戸に入った徳川家康により廃城。江戸初期の享保12年(1727年)には総寧寺が移され、明治以降は軍用地となり、第二次大戦後の昭和33年、里見公園として整備された。
現在、敷地内に城跡の土塁などのほか、バラ園や移築された北原白秋旧宅などがある。
現在洋式庭園となっている一帯は、江戸時代には総寧寺が転入し、明治以降に陸軍施設となったため、城郭の面影は失われている。
バラ園には112種700株のバラが植栽されている。
紫烟草舎は、詩人・北原白秋が、江戸川対岸の小岩において大正5年から一年間暮らした離れを移築したもの。
羅漢の井は、弘法大師空海が発見したと伝える。
明戸古墳は古墳後期(6世紀後半~7世紀初頭)のもので、墳頂には築城時に露出したと伝える石棺がある。
里見公園周辺の寺社等
茶道式正織部流 茶室
茶道式正織部流の茶室は里見公園の南西門近くにあり、茶室が通り沿いから覗える。茶道式正織部流は大名茶人・古田織部正重然(1544-1615年)の創始した茶道で、草庵で点てる「私の茶」に対し、書院式茶室で点てる公的な茶を標榜している。
総寧寺
総寧寺(總寧寺)は、里見公園に北接する曹洞宗寺院。江戸時代、栃木市・大中寺、埼玉県越生町・龍穏寺と共に全国の曹洞宗寺院を行政面で統括した。当寺に関する詳細は総寧寺の記事を参照。
国府台天満宮
国府台天満宮は文明11年(1475年)、太田道灌が創建。かつては法皇塚古墳(東京医科歯科大学国府台キャンパスの北端)墳頂に鎮座したが、明治8年に現在地へと遷座。現境内は国府台城の一角にある。
毎年1月17日には辻切り行事が行われる。
本殿の両側面には彫刻が施されている。
国府台の辻切りは悪霊や疫病が侵入するのを防ぐため、毎年1月17日に当社境内で2mの藁製大蛇4体を作り、村の出入口4ヶ所に設置する行事。4体のうち2体は里見公園内に置かれる(残り2体も公園近く)。市川市指定無形民俗文化財。