遠見岬神社
遠見岬(とみさき)神社は、千葉県勝浦市の、JR外房線の勝浦駅より南へ徒歩10分の地に位置する鎮守社。
神武天皇の代に房総を開拓した天富命を祀る。
当地で開拓にあたっていた天富命の没後、八幡岬突端の富貴島にあった天富命の居跡に創建(詳細は後述)。
江戸初期の慶長6年(1601年)の大津波で社殿が流されて宮ノ谷に再建、更に万治2年(1659年)に現在地に遷座。江戸時代までは富大明神と称したが、明治6年に遠見岬神社と改称した。
勝浦の町中にあり、境内は整っている。
社殿は拝殿・幣殿・本殿を連結した権現造。拝殿は江戸末期の1863年建立。
本殿は江戸後期の1849年建立。
この他の境内社としては、本殿の背後に月読神社があるが、現在は近づけない。
天富命と勝浦
天富命は神武天皇の臣下で、天皇のために橿原に宮殿を建てた。また阿波忌部を率いて阿波国を開拓。更に阿波忌部を率いて安房国に上陸して房総を開拓、祖父の天太玉命を祀る社(現・安房神社)を建てた。
その後、天富命は富岬(遠見岬、現在の八幡岬)突端富貴島に居を構え、朝夕に安房神社方面を遥拝(天太玉命を祀る祠を建てたとも)。現・勝浦市名木には木材を掌る御木忌部を置き、細殿に仮宮(後に細殿神社となるも焼失)を建てて留まり、諸所に麻植忌部を配して麻穀を植え、現・勝浦市荒川には館を造る阿良香忌部を置き、現・勝浦には勝占忌部の須須立命を留め漁業を広め神事を掌せた(勝占忌部を置き麻を播種して民に農業を、また紀伊忌部を呼んで民に漁業を教導したとも)。勝占忌部が居したので勝占と呼ばれたのが後に勝浦に転訛した。
天富命が当地で没すると、須須立命は天富命の居跡に、天富命を祀る当社を創建した。墓所自体は宮山だともいう。また異伝では、天富命は民を指導する部下らを残して一旦上京、再び収穫を確認に訪れ、ある日民を率いて山に狩に入り忽然と消えたので、民は天富命が常人でないと知り祀ったとも言う。また、南房総市の富山が墓だとの異伝もある。
当初の社地である富貴島は、1601年の大津波や元禄16年(1703年)の大地震で海没し、一部が平島などとして残るのみ(現在、平島には鳥居が建てられている)。
勝浦大漁まつり
当社の例大祭は9月下旬に、近隣の神社約10社と合同で「勝浦大漁まつり」の名で催され、多数の神輿が渡御する。
近くには本行寺や覚翁寺などがある。