館山城跡

館山城跡館山城跡は、千葉県館山市の、JR内房線の館山駅より南西へ徒歩25分の地に位置する山城。
天正8年(1580年)頃、安房・上総の戦国大名・里見氏により支城として築城。同18年(1590年)に里見氏が安房一国に減封されるとその本拠となり、里見氏が慶長19年(1614年)に改易されるまで存続した(後述)。
現在、館山城跡は城山公園として整備され、頂上付近には模擬天守や日本庭園などがある。館山市指定史跡。

遠景
館山城跡

館山城跡である城山(標高65.8m)は城山公園として整備されている。

彫刻の径
館山城跡

中腹には館山市立博物館の本館があり、里見氏を中心に、地域の歴史や民俗を展示している(館内は撮影禁止)。
博物館の前は「彫刻の径」として現代彫刻が屋外展示されている。

山頂への道
館山城跡
模擬天守
館山城跡

山頂付近は第二次大戦中に軍事施設となり大改造され、旧状を留めていない。
RC造の模擬天守は八犬伝博物館で、犬山城天守をモデルに昭和57年頃竣工(館内は撮影禁止)。

山頂からの眺望
館山城跡
浅間神社
館山城跡

山頂には浅間神社の祠もある。江戸後期の天明2年(1782年)には当社の記録がある。昭和12年に戦争のため麓に遷座し、同25年に山頂に復帰。

日本庭園
館山城跡
 
館山城跡
茶室 雁月庵
館山城跡

山頂直下には日本庭園があり、茶室「雁月庵」も整備されている。
城山公園内にはこの他、つばきの径、梅園、つつじ園、花菖蒲園などもある。

八遺臣の墓
館山城跡

山頂から北東への登山道を下ると、中腹に八遺臣の墓がある。
倉吉に流された忠義の死に殉死した忠臣8人の遺骨を分骨・埋葬したと伝える。この8人が南総里見八犬伝のモデルとも言われる。

館山城の沿革

館山城は、安土桃山時代の天正8年(1580年)頃、安房・上総国を領した戦国大名の里見義頼が築城。ただし義頼の居城は現・南房総市富浦町の岡本城であった。
後継の嫡子・義康も引き続き岡本城を本拠としたが、天正18年(1590年)に秀吉に安房一国に減封されると、翌19年に館山城に本拠を移す。慶長8年(1603年)の江戸幕府開府により館山藩(12万2000石)が成立すると、義康はその初代藩主となる。
慶長19年(1614年)、第2代藩主・忠義が城の無断改修等を理由に改易され伯耆国倉吉に事実上配流されると、館山藩は廃藩、館山城も廃城となった。

稲葉氏の館山陣屋

江戸後期の天明元年(1781年)、旗本・稲葉正明が、安房・上総国内の領地を加増されて計1万石の大名となり、館山藩が成立。寛政3年(1791年)、第2代藩主・正武が城山の南東麓に藩庁(館山陣屋)を設け、維新まで続いた。
館山陣屋跡には陣屋稲荷であった貴美稲荷神社が残っており、現在は最後の藩主である第4代・稲葉正巳を祀るという。

貴美稲荷神社(館山陣屋跡)
館山陣屋跡

なお、この石段の先にある社殿は、2022年時点では崩壊していた。

貴美稲荷神社・館山陣屋跡
千葉県館山市館山 地図
館山城跡 公式HP
[館山市立博物館本館・館山城] 時間:9:00-16:45 入館料:400円 休館日:月(祝なら翌日)・年末年始
千葉県館山市館山 地図
アクセス:JR内房線 館山駅より徒歩25分
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