素盞雄神社は、東京都荒川区の、JR常磐線・東京メトロ日比谷線・つくばエクスプレスの南千住駅より徒歩7分、または都電荒川線三ノ輪橋駅より徒歩9分に位置する、町屋・南千住・三河島の総鎮守。当社についての詳細は素盞雄神社の記事を参照。
素盞雄神社の例大祭である天王祭は6月上旬に催される。
素盞雄神社 天王祭
素盞雄神社の例大祭「天王祭」は6月上旬に執り行われる、都内でも大規模な神社祭礼。二天棒(横棒がなく縦棒2本のみ)の神輿を左右に振りながら担ぐ「神輿振り」という独特の担ぎ方で知られる祭礼で、三年に一度の本祭では二日間に渡って本社神輿が氏子地域を巡行する。そのほか、町神輿の大規模な連合渡御が組まれるのも特徴。
期間中、境内には露天商の露店が所狭しと出店する。
神幸祭(本祭の年のみ)
本祭の年、本社大神輿は土曜日の早朝に素盞雄神社より宮出しが行われ、町屋の御旅所に夕刻に到着し、そこで一泊する。翌日曜日の朝には御旅所を出発、夕刻に素盞雄神社に宮入りする。
神幸祭には神輿を振りながら担ぐ「神輿振り」の区間と、鳳車に乗せて渡御する「渡御行列」の区間がある。
渡御行列
神幸祭における渡御行列は、土曜日の宮出し・三河島駅前・町屋駅前以外の区間と、日曜日の宮入り以外の区間で行われる。渡御行列においては、本社神輿は担がれず、鳳車に乗せられて巡行する。以下の写真は土曜日の渡御行列のもの。翌日曜日の渡御行列と比べ、騎馬神職や猿田彦などがいない簡略なものとなる。
本社中神輿(平成7年製作)は台車に乗せられて渡御。
本社大神輿は鳳車に乗せられて渡御。この神輿は俗にいう千貫神輿で、明治10年製作(鳳車は大正14年製作)。
町屋での神輿振り
神幸祭における「神輿振り」の区間は、土曜日の宮出し・三河島駅前・町屋駅前と、日曜日の宮入りである。以下の写真は町屋における土曜日の「神輿振り」。
本社大神輿が乗せられていた鳳車。
本社小神輿は平成20年製作。子供たちが神輿振りを披露しながら巡行。
本社中・大神輿も担がれて神輿振りを披露。
宮入り
日曜日の神幸祭では、神輿振り区間は宮入りのみとなる。
七ヶ町連合宮入(毎年)
日曜日の夕刻には毎年、七ヶ町の町神輿の連合宮入が行われる。小塚原通り(南千住駅から素盞雄神社へと伸びる道路)は夕刻より車両通行止めとなり、宮入を待つ町会神輿が並び、神輿振りを披露。神輿は通りに待機して1基ずつ宮入するため、7ヶ町ながら宮入は3時間ほどかかる。陰祭の年には17~20時ぐらいだが、本祭の年には本社神輿の宮入後に行われるため、19~22時くらいが目安となるようだ。
宮入りした町神輿は境内でも神輿振りを披露。神輿を左右交互に振る。
この太鼓は、本祭の年においては本社神輿の宮入の前に披露される。
千住間道七ヶ町連合渡御(毎年)
千住間道七ヶ町連合渡御は日曜の午前中に七ヶ町の町神輿が連合渡御する行事で、毎年行われる。
千住間道は素盞雄神社の南西500m(徒歩7分)の日光街道(国道4号)から南千住警察署や荒川総合スポーツセンターの前を通って荒川区役所へと抜ける新道 [地図] で、この道を東側の日光街道口から西のサンパール荒川前(荒川区役所手前)まで、まず子供神輿が、次に大神輿が連合渡御する。
この子供の手古舞に囃子屋台が続く。
囃子屋台に続いて子供神輿の連合渡御。大人の手助けで神輿振りをしながら進む。
町屋地区連合渡御(陰祭の年のみ)
町屋では陰祭の年の日曜の昼頃より、尾竹橋通りの荒木田交差点から花の木交差点まで、町屋地区15ヶ町の連合渡御が行われる。尾竹橋通りは京成線・東京メトロ千代田線・都電荒川線の町屋駅前を南北に走る大通り [地図] で、そこを神輿が北方から南下する。
なお、本祭の年においては、町屋では代わりに連日大規模な本社神輿の祭礼行列が組まれる。
高張と役員らに太鼓が続き、その後に町神輿群が来る。
その他
土曜の夕刻に第二峡田小学校近く [地図] で毎年行われる、三河島地区内の3ヶ町による連合渡御。三河島地区では他にも幾つか小規模な連合渡御が行われているようだ。
一つの町会内での行事だが、大・中・小2で計4基の町神輿が神輿振りをしながら連合渡御する。なお、この4基は日曜夕刻の連合宮入にも参加する。
素盞雄神社の氏子地域は広いため、三河島地区においてはJR三河島駅近くの宮地稲荷(三河島稲荷) [地図] においても露店が出る(なお、宮地稲荷自身の例祭は3月15日)。
宮地稲荷には大西町会の趣向を凝らした御神酒所が設けられる。拝殿ではお囃子も。
同様に、町屋においては町屋の鎮守である原稲荷(町屋稲荷) [地図] に露店が若干出る。当社は本祭の年においては御旅所として本社神輿が一泊する。なお、原稲荷自身の例大祭は10月上旬。
稲田姫の山車人形は、本祭の年には素盞雄神社で、それ以外の年には4つの町会の御神酒所で輪番で展示される。
氏子圏にはもう1つ、山車人形が残されている。荒川中央町会の御神酒所に飾られる熊坂長範の山車人形である。
新開睦の大神輿はまあまあ珍しい八棟造。大正11年製作。
素盞雄神社天王祭の沿革など
素盞雄神社の天王祭は、室町時代の天文10年(1541年)より始まったとされる祭礼である。荒川区登録無形民俗文化財。
素盞雄神社の創建伝承では、延暦14年(795年)に現・境内の瑞光石の所で牛頭天王(素盞雄大神)と飛鳥権現(飛鳥大神)から祀るよう託宣があったのが4月8日(現在は疫神祭が行われる)、牛頭天王を勧請したのが6月3日、飛鳥権現を勧請したのが9月15日となっており、つまり天王祭は牛頭天王の勧請を記念して行われる祭礼である。かつては本社神輿の渡御が10日間にも及んだため「だらだら祭り」とも称された(現在ではだらだら祭りと言えば芝大神宮の例大祭を指すが、かつてはこう呼ばれた祭礼が現・都内にも複数あった)。
なお、宵宮と例大祭当日の祭典式への参列者は半紙に包んだキュウリを神社に奉納するが、これはキュウリの断面が神紋に似ていて恐れ多いのでその年の初物をまず神前に供えてから食する伝統によるものという。奉納されたキュウリは漬物にされ奉納太鼓で参拝者に配られる。