坂東報恩寺は台東区の東上野の、東京メトロ銀座線の稲荷町駅より北東へ徒歩4分の地にある(浄土)真宗大谷派の寺院。
当寺では毎年1月12日に俎開き(まないた開き)が行われ、四条流の包丁式が奉納される。
坂東報恩寺 まないた開き
毎年1月12日に東上野の坂東報恩寺で催される俎開き(まないた開き)は、正式には鯉魚料理規式といい、江戸時代には年中行事として知られていた。この行事では、常総市の大生郷天満宮から送られた2匹の鯉を四条流の包丁人がさばく。
浄土真宗は神祇不拝をかかげる宗派で、他の伝統宗派とは違って神社や神道の神との関わりはマレなのだが、茨城県内の浄土真宗寺院にはこのように接点のある所も見られる(坂東報恩寺は茨城県常総市から移転してきた寺)。
まず鯉2匹を開基である性信の図像に捧げ読経。
1匹をさばく。なお、まな板には注連縄が張られている。前述のように浄土真宗は神祇不拝を掲げる宗派なので、境内で注連縄を見るのは珍しい。
さばいた鯉は三宝に載せ性信像の前に捧げられる。
2匹目の鯉をさばく。
坂東報恩寺と俎開き
坂東報恩寺は鎌倉時代の建保2年(1214年)、浄土真宗宗祖親鸞の弟子であった性信が、現在の茨城県常総市で荒廃していた大楽寺を報恩寺として再興したもので、慶長5年(1600年)に兵火で焼失して江戸に移転し、江戸では外桜田、日本橋、浅草を経て文化7年(1810年)に現在の東上野へと移った。さらに江戸時代、茨城県常総市の移転跡地でも報恩寺が復興した。
当寺には「天福元年(1233年)に性信の法話を翁姿の大生郷天満宮(常総市)の祭神が拝聴し、その恩に報いるために大生郷天満宮の神主に池の鯉2匹を毎年正月に報恩寺へ贈るよう夢告し、またその旨を性真にも霊夢で伝えた」との伝承があり、その伝承に従って現代においても大生郷天満宮から鯉2匹が、常総市の報恩寺を経由して坂東報恩寺に毎年送られてくるのである。