遊行寺(清浄光寺)
遊行寺(ゆぎょうじ)は、神奈川県藤沢市の、JR東海道線・小田急江ノ島線・江ノ島電鉄の藤沢駅より北へ徒歩15分の地に位置する、時宗の総本山。遊行寺は通称で、正式には藤澤山無量光院清浄光寺と号する。
鎌倉末期の正中2年(1325年)に呑海が、廃寺であった極楽寺を清浄光院と改め道場とし、これが後に清浄光寺となった。室町時代の永正10年(1513年)に兵火で焼失した後は藤沢では再興が叶わず本尊を他寺に移していたが、江戸初期の慶長12年(1607年)にようやく再興された。なお、この当時、時宗諸派の間では総本山の地位について争いがあったが、寛永8年(1631年)、江戸幕府の裁定で当寺が時宗の総本山として認められた。
惣門は明治前期、その両脇の石垣及び築地塀は江戸末期の建立で国登録有形文化財。また惣門前に立つ青銅製灯籠2基は藤沢市指定重要文化財。
表参道「いろは坂」は八重桜の並木となっている(染井吉野より花期が若干遅い)。いろは坂沿いには子院の真徳寺と真浄院が並ぶ。
いろは坂を登った所が山門跡であり、通過すると市指定天然記念物の大イチョウ(推定樹齢700年)が立つ。
本堂は昭和12年建立。国登録有形文化財。
本堂手前に立つ手水舎は明治前期の建立。国登録有形文化財。
地蔵堂は平成26年建立。
鐘楼は昭和9年建立。国登録有形文化財。
本堂背後の回向堂は昭和前期の建立。国登録有形文化財。
宇賀弁財天を祀る宇賀神社は明治前期の建立。国登録有形文化財。当寺で出家した、徳川氏の祖とされる松平有親が応永3年(1396年)に勧請。
俣野大権現は、当寺を創建した呑海の実兄であった地頭・俣野景平を祀る。景平は大檀越として敷地と堂宇を寄進した。
百間廊下は昭和12年建立。国登録有形文化財。
長生院(小栗堂)は遊行寺の境内塔頭で、中世以来の小栗判官伝説で知られる小栗満重とその妻・照手姫の墓がある。本堂は平成3年建立。
寺務所等のあるエリア
中雀門(勅使門)は幕末の1859年建立で、遊行寺最古の建築物。明治期の火災や関東大震災での焼失を免れた、境内唯一の江戸期の建築。藤沢市指定重要文化財。
中雀門は閉ざされているが、隣の冠木門から背後にある寺務所や御番方へと至ることができる。
なお、この冠木門はかつては黒塗りの木造門であったが、近年、白い石造の門へと建て替えられている。
御番方(ごばんかた)は信徒・団参用の入口。大正2年上棟。国登録有形文化財。
徳川綱吉の生類憐れみの令では江戸中の金魚・銀魚が集められこの池に放生されたという。現在も、春季開山忌に放生会が行われる。
放生池畔には太鼓堂も立つ。
菖蒲園
6月頃には、御番方の裏にある菖蒲園が公開される(その他の時期は非公開)。
小書院は明治前期の建立で国登録有形文化財。
この時期、本堂脇(常日頃から公開されたエリア)にはアジサイが咲く。
主な年中行事
遊行寺における特徴的な年中行事のうち、一般参拝者にとっても目立つものには春季開山忌と秋季開山忌がある。
4月21~24日開催の春季開山忌は遊行寺開山・呑海上人の忌日法要(旧暦2月18日入寂)、9月21~24日開催の秋季開山忌は宗祖・一遍上人の忌日法要(旧暦8月23日入寂)で、稚児行列や踊り念仏などが行われる。なお、放生池における放生会は春季のみである。
このほか、大晦日・正月の除夜の鐘及び初詣や、2月3日の節分追儺式の豆まきにも多くの人出がある。
遊行寺境内の東側(向かって右側)の道路反対側には、明治維新時の神仏分離令まで当寺の鎮守社であった大鋸諏訪神社が鎮座する。