一条恵観山荘
一条恵観山荘は、神奈川県鎌倉市の、JR横須賀線・江ノ島電鉄の鎌倉駅より北東へ徒歩29分の地に位置する日本庭園。
摂関家の一条昭良(1605-1672年)が、17世紀中期に京都西賀茂に造営した広大な山荘の離れを、昭和34年に茶道宗徧流不審庵の茶室・止観亭として移築したもので、現在は財団法人が管理している。
一条昭良は後陽成天皇の第九皇子として生まれ、一条家の養子となって関白・摂政を歴任し、後に出家して恵観と号した。山荘は、次男・冬基が起こした醍醐家の別邸として受け継がれた。
渓谷沿いに造られた庭園に立つ茅葺きの山荘は、国の重要文化財に指定されている。
御幸門の名は、1729年に霊元天皇が西賀茂の山荘に行幸したことに因んだもの。
一条恵観山荘は、一条昭良が17世紀中期に京都西賀茂に構えた山荘の離れ。昭良自身の設計で、国指定重要文化財。
金森宗和好みの枯山水や庭石も共に移され、現地と同様に配置された。