大蔵白旗神社 & 法華堂跡
鎌倉時代初期、幕府の北方に、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝と第2代執権・北条義時の墓が、法華堂とともに建てられた。
これら法華堂跡は国指定史跡であり、またユネスコ世界遺産暫定リスト「武家の古都・鎌倉」(イコモスに不登録勧告され推薦取り下げ)の構成資産であった。
大蔵白旗神社 & 源頼朝墓所
大蔵白旗神社は、神奈川県鎌倉市の、JR横須賀線・江ノ島電鉄の鎌倉駅より北東へ徒歩19分の地に位置する神社。
当地は初代将軍・源頼朝(1147-1199年)の大倉幕府の北隅に当たり、頼朝の持仏堂があったとされる。頼朝は没後にここに葬られ持仏堂は法華堂となり、後には白旗大明神としても信仰された。法華堂は明治維新時の神仏分離で廃止され、明治5年に白旗神社が創建された。
左が白旗神社への鳥居、正面が法華堂跡(頼朝墓)への鳥居。
社殿は昭和45年築。境内は廟所跡。
かつてこの高台に法華堂があった。この源頼朝墓の石塔は、江戸時代に薩摩藩主・島津重豪が建立したもの(島津家の祖の島津忠久は、頼朝の落胤とされていた)。
現在、この墓は白旗神社ではなく鎌倉市が管理している。
その他の伝・頼朝墓
頼朝の墓と伝える地は、群馬県前橋市の珊瑚寺、同じく前橋市の極楽寺、滋賀県長浜市の天吉寺山(供養塔?)にもある。
北条義時墓所
北条義時の墓所は、鎌倉駅より北東へ徒歩20分(白旗神社からは東へ徒歩1分)の地にある。
北条義時(1163-1224年)は鎌倉幕府の第2代執権。その墓所である法華堂跡の周囲には、島津・毛利家の祖や三浦一族の墓もある。
左が社殿への鳥居、正面が墓所(法華堂跡)への鳥居。
この平坦地が北条義時の法華堂跡(墓所)。
宝治元年(1247年)の宝治合戦で5代執権北条時頼に敗れた三浦一族郎党500余名は源頼朝の法華堂で自刃した。
左から毛利季光、大江広元、島津忠久の墓とされるもの。
毛利季光(1202-1247年)は長州藩主毛利家の祖。大江広元(1148-1225年)はその父で、頼朝の側近。
島津忠久(未詳-1227年)は頼朝の落胤とされる、薩摩藩主島津家の祖。
江戸時代、毛利家が大江広元の墓を、島津家が島津忠久の墓を、曖昧な根拠を元に当地に整備。また毛利家は毛利季光の墓は鎌倉の別の地に整備したが、大正10年に現在地に移設した。
その他の伝・義時墓
北条義時の墓と伝える地は、静岡県伊豆の国市の北條寺にもある。