弘明寺
弘明寺(ぐみょうじ)は、神奈川県横浜市の、京急本線の弘明寺駅より東へ徒歩2分、または横浜市営地下鉄ブルーラインの弘明寺駅より西へ徒歩5分の地に位置する、高野山真言宗の寺院。正式には瑞応山蓮華院弘明寺。
奈良時代の養老5年(721年)にインド僧の善無畏三蔵が当地を結界し、天平9年(737年)に行基が観音堂を建て、弘仁5年(814年)には弘法大師空海が伽藍を造営したと伝える。
横浜最古の寺とされ、また著名な巡礼霊場である坂東三十三箇所観音霊場の第14番札所でもある。
仁王門は公式HPによると江戸時代の建立だが、室町末期建立とする資料や、伝・1327年頃建立とする資料もある。
安置されている仁王像は伝・運慶作で横浜市指定有形文化財。
石段の左側にあるのは、下段が観音堂、上段が身代わり地蔵尊。
本堂は江戸中期の1766年建立。1044年に建立された前代本堂の部材も一部再利用している。脇にある水屋は江戸後期の1834年建立。
本堂内の厨子は1822年建造で、本尊は十一面観世音菩薩。
聖天堂は昭和6年建立。
鐘楼は江戸前期の1684年に改築され、関東大震災で倒壊し、昭和4年復興。
七ツ石は、養老年間にインド僧・善無畏三蔵が当地で霊域を感得し、陀羅尼を書写して七つの石を埋め道場として結界を立てた霊石。
なお、少し前まで現在とは異なる配置で安置してあった。
左側の客殿は1766年修造、右側の庫裏は1766年竣工。
楓関門は室町時代の1411年に建立され、関東大震災で倒壊し、昭和4年に再築。
奥ノ院跡
『江戸名所圖會』によると、江戸時代には本堂の左奥の山に熊野権現祠があり、その祠より上を麻耳山(まにさん)を俗に奥ノ院と称していた。熊野権現祠は当地に善無畏三蔵を招き、また行基の前に出現したという稲荷と熊野の神霊を祀ったもので、麻耳山は弘法大師空海が勤行した地であったと伝える。
現在、麻耳山は弘明寺公園の一部となり、熊野権現祠も現存しない。