芝生浅間神社
芝生浅間(しぼうせんげん)神社は、神奈川県横浜市の、相模鉄道本線の平沼橋駅より北西へ徒歩11分の地に位置する、旧芝生村の鎮守。
承暦4年(1080年)6月1日、富士山より鏡が当山山頂の松に飛来して放光し、香象院の僧の夢に富士浅間大菩薩が老僧姿で現れて、自分の本体は松に掛かった大日如来であり、社を建てて祀るよう告げたので創建された。
異伝として、源頼朝が文治元年(1185年)に平家を討滅した後に創建したとも、星川村にあった山崎浅間宝寺が永禄・天正年間(1558-1592年)に落人を匿って廃寺となり神体の浅間大菩薩像が帷子川に流され当地の海岸に漂着したので住民が祀ったとも伝える。
社殿は第二次大戦後に再建されたものだが、珍しい木造の浅間造。
かつては神社が鎮座する通称「袖すり山」のすぐ下が波打ち際だった。
また西側の崖には富士山につながると伝える「富士の人穴」があったが、昭和35~36年頃に塞がれた。
社殿は昭和34年建立。本殿・幣殿・拝殿を連結した権現造で、うち本殿は浅間造。
なお、昭和6年建立の前代本殿も浅間造であった(前々代の本殿は入母屋造)。
浅間造(楼閣造)は富士宮市・富士山本宮浅間大社の本殿の建築様式で、本殿を重層としたものであり、全国的にも珍しい。
主祭神は富士山の神である木花咲耶姫命。
富士山五合目にある小御嶽神社は浅間神社祭神・木花咲耶姫命の姉である磐長姫命を祀る社で、浅間社や富士塚には良く勧請される。
招魂社は、氏子地域の戦没者を祀って昭和37年創建。
この他の境内社としては、稲荷社がある。
例大祭
芝生浅間神社の例大祭は6月上旬の週末(神事は6月1日)に催される。多くの露天商が軒を並べ、土曜日には宮神輿が巡行し、翌日曜日には町神輿が連合渡御を行う、横浜北部の代表的な神社祭礼の一つ。
明治維新時の神仏分離まで、香象院(保土ケ谷区岩間町2-153)が当社の別当寺であった。