総持寺
総持寺(總持寺)は、神奈川県横浜市の、JR京浜東北線・鶴見線の鶴見駅より南へ徒歩5分に位置する、福井県・永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山。
現・石川県輪島市にあった真言律宗の諸嶽観音堂が、鎌倉末期の元亨元年(1321年)に曹洞宗に転じ総持寺と改称。永平寺とどちらが曹洞宗の本山か争いがあったが、江戸時代の元和元年(1615年)、幕府の裁定で双方とも本山と認められた。明治31年の火事で伽藍の多くを焼失後、同44年に横浜へ移転し、旧地は総持寺祖院となった。
諸堂は移転して以降のものが主で、曹洞宗特有の伽藍配置に従って大規模な堂宇が並び、うち16点が国の文化財に登録されている。
三松関(さんしょうかん)は当寺の総門で、大正9年築。国登録有形文化財。
昭和44年築でRC造。RC造では日本最大の門だと称している。
向唐門(旧勅使門)は大正14年築。国登録有形文化財。
向唐門は通常は閉じられているが、禅師入山式、正月、7月のみたままつり、11月の御移転記念日には開かれる。
三松閣(さんしょうかく)は平成2年築。
香積台(こうしゃくだい)は総受付で、大正9年築。国登録有形文化財。
嫡々庵(てきてきあん)では寺宝を有料公開。
大僧堂は昭和12年築で、設計は伊東忠太。国登録有形文化財。
百間廊下(別名は通霽廊(つうせいろう)、真一文字廊下)及び門は大正4年頃の建立。国登録有形文化財。この廊下には東に朝を表す金鶏門、中央に昼を表す中雀門、西に夜を表す玉兔門、の3門が設けられている。
仏殿(大雄宝殿)は大正4年築で国登録有形文化財。釈迦牟尼如来を祀る。二重に見えるが裳階付の一重。
大祖堂は昭和40年築。開山堂兼法堂。
紫雲台(しうんたい)は大書院。国登録有形文化財。
背後には大正4年に作られた日本庭園「紫雲庭」や茶室倚松庵(昭和10年築、横浜市指定有形文化財)もあるが、茶室利用者など以外には非公開。
迎賓館である待鳳館(たいほうかん)は大正4年築で国登録有形文化財。主体は東京千駄ケ谷にあった尾張徳川家の書院を移築。
衆寮(しゅりょう)は大正4年築で国登録有形文化財。現在は坐禅堂として利用。
鐘鼓楼(しょうくろう)も大正4年築で国登録有形文化財。放光堂から衆寮に至る回廊の途中に組み込まれている。
放光堂は安政年間に山形・鶴岡の総穏寺本堂として建立され、明治44年の総持寺移転当時に当寺に移され大祖堂として利用された。国登録有形文化財。
虎嘯窟も安政年間に山形・鶴岡の旧総穏寺書院として建立され、明治44年に当寺に移築。国登録有形文化財。あまり良く見えない。
御霊殿(ごれいでん)は昭和12年築で国登録有形文化財。拝殿・幣殿・奥殿を連結した権現造の社殿で、うち奥殿は裳階付の入母屋造。
後醍醐天皇をはじめ、後村上天皇、後奈良天皇、後陽成天皇、明治天皇、大正天皇、昭和天皇を祀る。あまり良く見えない。
三宝殿(さんぼうでん)は昭和12年築で国登録有形文化財。総持寺の守護神である三宝大荒神を祀る。
鐘楼は大正4年築で国登録有形文化財。鐘楼としてはかなり豪壮。また大正2年鋳造の大梵鐘も関東一の大きさといい、横浜市指定有形文化財。
放光観音(ひかりかんのん)の台座は大正14年竣工で設計は伊東忠太。国登録有形文化財。観音像自体は昭和40年再建。
天真閣は昭和12年築。