宝登山神社
宝登山(寳登山、ほどさん)神社は、埼玉県秩父郡長瀞町の、秩父鉄道の長瀞駅より西へ徒歩12分の地に位置する鎮守社。当地方の有力社であり、戦前の社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社となっている。
かつては宝登山の山岳信仰で栄えた神社で、本宮はその麓に鎮座し、奥宮はロープウェイで結ばれた山頂近くにある。
現在の由緒では景行天皇41年(西暦111年)に東征中の日本武尊が創祀したとなっているが、江戸時代には平安時代の弘仁年間(810-824年)に空海が創建したとの縁起もあった(後述)。江戸時代は宝登山大権現と呼ばれたが、明治維新で宝登神社と改め、大正14年に宝登山神社に改称。
一ノ鳥居は長瀞駅近くの交差点に立つ [地図]。背後右側に見えるのが神社のある宝登山。
記念館は昭和17年建立。
記念館の裏には神池がある。
社殿は拝殿・幣殿・本殿を連結した権現造で、江戸後期の1847年に起工し、明治7年に竣功。部分的に色鮮やかな彩色が施されている。
なお、本殿を囲む玉垣内には、日本武尊が山頂に向かう前に禊したという玉ノ泉(みそぎの泉)がある。
神楽殿は昭和39年建立。
日本武尊社は、当社を創建した日本武尊を祀る境内社。社殿は昭和35年建立。
境内社のうち最も大きい宝玉稲荷神社は文政5年(1822年)、伏見稲荷を勧請したもの。
この他の境内社としては、藤谷淵神社、天満天神社、招魂社などがある。
玉泉寺
宝登山神社の参集殿の隣にある玉泉寺は真言宗智山派の寺院。
平安末期の永久元年(1113年)に創建され、明治維新時の神仏分離令まで宝登山神社の別当寺を務めた。
現在は宝登山神社とは独立した寺院であるが、境内の維持管理は神社に委ねられ、また社寺双方ともにその祭典法要などに際しては互いに参列している。
宝登山と奥宮
ロープウェイの山上駅までは麓から5分で結ばれているが、徒歩だと50分かかる。そこから少し登ると宝登山神社の奥宮があり、更に少し登ると山頂に至る。
山上はロウバイで有名であるが、梅やツツジなども多い。また小動物園もある。
ロープウェイの山上駅から蝋梅園などを抜けて登ると奥宮がある。
奥宮の現社殿は昭和26年建立。日本武尊が山頂にて神霊を祀ったのが当社の創祀とされる。
奥宮から少し登ると宝登山山頂。標高は497.1m。
祭神と由緒
当社の由緒では、景行天皇41年(西暦111年)、東征中の日本武尊が、賊徒平定を奉告しようと宝登山山頂に向かうと、巨犬が現れ道案内をした。その途中、尊は猛火に襲われるが、犬がこの火を消し止めた。
このため当山は「火止(ほと)山」と呼ばれるようになり、慶雲5年(708年)に秩父から朝廷に銅が献上された際(これにより和銅に改元)には銅鍛錬の火所が設けられた事から「火所山」となり、さらに後に「宝登山」となったと伝える。
こうして日本武尊は山頂で神籬を立てて神武天皇陵の方角を拝した。また巨犬は山頂で忽然と姿を消したため大山祇神の神使たる大口真神であったと知り、当山の鎮護として大山祇神を、火防の神として火産霊神を拝し、山麓に社殿を建て三神を鎮祭したのが当社の起源と伝わる。
現在、当社は神日本磐余彦尊(神武天皇)、大山祇神、火産霊神の3柱を祀っている。
異伝としては、平安時代の弘仁年間(810-824年)、弘法大師空海が当地に至ると、山頂が輝き、麓からは瑠璃泉が湧き、池から摩尼宝珠が光を放ちながら山上へ飛んだ奇瑞があったので霊地であるとして当社を創建したという。そして宝の山に登るので宝登山と呼ばれるようになったとする。
近くには長瀞町郷土資料館がある。