福岡河岸記念館
福岡河岸(ふくおかかし)記念館は、埼玉県ふじみ野市の、東武東上線の上福岡駅より北東へ徒歩23分の地に位置する近代和風建築。
福岡河岸で営業した3軒の回漕問屋のうち、福田屋の遺構を整備公開したもの。
福田屋は天保2年(1831年)の開業以来、新河岸川の舟運で栄えたが、明治末期に回漕業は廃業した。
現在、盛時の1/3ほどの敷地に、主屋・台所棟・離れ・文庫蔵が残されている。
なお、各棟は1階のみが公開されているが、2階建の主屋及び3階建の離れの上層階も、年に複数回公開される。
左から文庫蔵、離れ、主屋で、全てふじみ野市指定有形文化財。中央には中庭がある。
2階建の主屋は明治初期の、3階建の離れは明治33年頃の竣工。
文庫蔵は明治30年代の竣工。
中庭にある屋敷神の小祠は三峰社。
台所棟は明治30年代の竣工でふじみ野市指定有形文化財。
なお、台所棟の脇にも、屋敷神である稲荷社の小祠がある。
屋内
主屋は1階は帳場などで、2階は生活空間であった。また離れは接客用に建てられた。
福岡河岸のその他の遺構
福岡河岸は、川越と江戸を結んだ新河岸川舟運の川港で、吉田屋・福田屋・江戸屋という3軒の回漕問屋があり、舟運とともに、江戸期から明治中期まで隆盛した。
しかし明治28年の川越鉄道(現・西武新宿線)開通以降は舟運が次第に衰退。大正3年には東上鉄道(東武東上線)が開通、大正10年からは新河岸川の改修工事が始まり、昭和6年には新河岸川の通船停止令も出された。
明治末期頃には福田屋と江戸屋が、そして大正末には吉野屋も、船問屋を廃業した。
福岡河岸跡
福岡河岸の跡地は公園整備されている。
旧吉野屋土蔵
福岡河岸の回漕問屋であった吉野屋は、安永2年(1773年)に公認され、大正末まで営業した。
最盛期の明治中期には一番から十二番までの土蔵があったが、現在は当時の建物はこれ1棟のみ残る。
明治中期頃の建造で国登録有形文化財。
旧江戸屋
福岡河岸の回漕問屋であった旧江戸屋は、数棟の建物が残されている。
福岡河岸記念館の門前にあり、カフェに活用されている。
主屋は明治3年竣工。商家建築である2階建の店舗と、農家建築である1階建の座敷で成る。
主屋と土蔵は整備予定か。