高山不動尊(常楽院)
高山不動尊(常楽院)は、埼玉県飯能市の標高608mの山岳部にある、真言宗智山派の山寺。山号は高貴山。
千葉・成田不動尊、東京・高幡不動尊とともに関東三大不動の一つとされる。
白雉5年(654年)、大化の改新で世情不安の中、巡察中の朝廷の軍が、関八州を一望できる地(現在、奥ノ院がある関八州見晴台)に不動明王を安置して創建。霊亀2年(716年)、行基が元正天皇の勅を奉じて当山に登り、三輪明神(五大尊の化身)の霊夢に従い、不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛五の明王像を刻み安置。平安時代には弘法大師空海も当山にて護摩行を修した。天正18年(1590年)に現在地へと移転。
車道もあるが、登山道も整備されており、西武池袋線の西吾野駅からは、不動三瀧経由であれば徒歩110分で登れる。
本堂は江戸後期の1831年建立。埼玉県指定文化財。
山中にある仏堂にしては規模が大きい。
本尊は軍荼利明王(五大尊の他の明王像は戦国時代に焼失)。
奥ノ院
奥ノ院の不動堂は、本堂から約30分登った関八州見晴台(標高771.1m)にあり、車道も通じている。
ここが創建当時の境内。
三輪神社
常楽院に隣接して、旧高山村の鎮守である三輪神社がある。
斉明天皇2年(656年)、常楽院は東国鎮護のため勅願所となったが、この際、奈良・大神神社を勧請して三輪神社が創建された。
また既述のように、三輪明神(五大尊の化身)が当山にて行基に霊夢で現れ、それにより常楽院の本尊となる五大明王像が刻まれたことにより、五大尊三輪神社と呼ばれたと言う。
この様に当社は常楽院と関係が深い社で、明治維新時の神仏分離まで、常楽院が当社の別当寺であった。
西吾野駅反対側の山には子ノ権現(天龍寺)がある。天龍寺はその縁起で、子ノ聖が吾野で邪鬼に襲われ足腰を痛めた際、天龍に助けられたその報恩に創建したと伝える。なお、実はこの邪鬼は繁栄を妬んだ高山不動尊で、片方の祭の日にはもう片方は雨となる、という伝説もある。