子ノ権現
子ノ権現(ねのごんげん)は、埼玉県飯能市の、天台宗の山寺。正式には大鱗山雲洞院天龍寺。
平安時代の延喜11年(911年)、子ノ聖が十一面観音を祀って天龍寺を創建。後に弟子が子ノ聖を子ノ聖大権現社として祀った。明治維新時には神仏分離で権現号を停止し大薩埵(菩薩)と称したが、明治4年に権現号に復した。
神仏習合色が濃厚な山岳寺院(標高640mにある)で、足腰の神として知られる(創建伝承は後述)。
江戸時代に参道は5筋あり、現在は車道が通る下中沢からの道が表参道であった(吾野南川方面からの車道参道は江戸時代には無かった)。また西武池袋線の西吾野駅(80分)または吾野駅(90分)から登山道が通じ、竹寺(八王寺)からの登山道(70分)もある。
なお、子社・根社は東北~四国に分布するが、中心的なのは東関東及び山梨・静岡で、大黒天(大国主命)と習合して屋敷・農村・寺院の鎮守として祀られているものが多い。また独立した神社となっているものも少なくない。
二本杉は樹齢800年で、子ノ聖が刺した箸が根付いたものと伝える。埼玉県指定天然記念物。
寺院ながら参道に鳥居がある。
本坊は江戸末期の建立。
本尊は子ノ聖権現。
足腰守護の神として履物の奉納物がある。鉄ワラジは重さ2トンで日本一だと称している。
奥ノ院の釈迦堂も境内にある。
創建伝承
天龍寺の縁起では、延喜11年(911年)、子ノ聖が十一面観音を祀って天龍寺を創建し、後に弟子の恵聖が子ノ聖を子ノ聖大権現社として祀った、としている。
子ノ聖(子年子月子刻に生誕した高僧)は出羽山で修行後、月山から有縁の地を求めて般若経を投じると、吾野の経ヶ峰に落ち放光したので、草庵を結んだのが草創。
子ノ聖が当山の麓に至ると、邪鬼が阻止せんと火を吹き、聖の足を焼くが、山の洞窟から現れた天龍が雨を降らせ火を消し、十一面観音の姿と化したので、この十一面観音を本尊とした。聖は示寂に際し、足腰守護・火防の神とならんことを誓った。
なお、開山時に襲ってきた邪鬼は実は繁栄を妬んだ高山不動尊(西吾野駅の反対側の山にある)で、片方の祭の日にはもう片方は雨となる、との伝説もある。
静之神社
西吾野駅から子ノ権現への登山道沿いにある小社。岩にある窪みに懸造の覆屋が差し込まれ、祠が納められている。