出雲祝神社
出雲祝(いずもいわい)神社は、埼玉県入間市の、JR八高線の箱根ヶ崎駅より北東へ車9分の地に位置する鎮守社。
景行天皇40~41年(110~111年)の日本武尊の東征の際、小手指原にて天穂日命・天夷鳥命を祀って創建され、出雲伊波比神社と称した。江戸時代は寄木明神や寄木宮などと呼ばれていたが、明治2年に出雲祝神社と改めた。
境内社護国神社は宮寺小学校の旧御真影奉安殿を移築したもの。
また当社には、出雲神話に関連する、神代の伝承も残る(後述)。
拝殿は大正2年修築、本殿覆屋は大正8年改築。
境内社護国神社は、旧宮寺尋常高等小学校(現・宮寺小学校)の御真影奉安殿(昭和7年頃建立)を移築したもの。
当社に残る神代の伝承
当社は江戸時代、寄木明神や寄木宮などと呼ばれていた。
社伝によると、出雲国の杵築湾に漂着した木材で出雲族が造ったのが出雲大社で、漂着した樹種を天穂日命が当地に来訪して播種したのが寄木の森だとする。また当社にあるという石棒は、もとの石棒の下半分で、天穂日命が持参したものであり、上半分は出雲大社にあるという。
なお、記紀神話においては天穂日命は天照大御神の第二子で、国譲りを迫るために高天原から出雲の大国主神に遣わされたが逆にその配下となった。後に派遣された建御雷神らが国譲りを成し遂げると、天照大御神は大国主神の住居として出雲大社を建てさせて天穂日命を仕えさせ、天穂日命の子孫は出雲大社の宮司家である出雲国造家(現在の千家家と北島家で、両家に分裂して以降は交互に出雲大社の宮司となっていたが、明治以降は千家家が世襲している)となった。
当社の割と近くには西勝院がある。