鷲宮神社
鷲宮(わしのみや)神社は、埼玉県久喜市の、東武伊勢崎線の鷲宮駅より北へ徒歩6分の地に位置する鎮守社。
戦前の社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。また明治初期に一時的に准勅祭社12社が定められた際にはその一社となった。
太田荘には当社の分社が多く分布する。
現在は、神代に創建の由緒(後述)をもって関東最古の神社を名乗る。その他の伝承では、景行天皇40年(西暦110年)に東征中の日本武尊が創祀した、あるいは伊予国一宮の三嶋大明神が東征で伊豆国一宮の三嶋大社に遷る際に摂社の鷲大明神は鷲宮神社に遷った、といったものもある。明治維新までは鷲宮大明神と呼ばれた。
参道鳥居は令和2年再建。
拝殿及び背後の幣殿は江戸末期の1857年建立。
左側の神崎神社は別宮・摂社であり、大己貴命を祀る。右側の本社本殿は天穂日命と武夷鳥命を主祭神として祀る。共に江戸末期の1857年建立。
神楽殿は江戸後期の1821年建立。
光天之(みひかりの)池は龍神が棲むと伝える池で、平成期に埋没した池を復元中に奇瑞と神託があって命名。
近寄れないが、御池社がある。
これらの他にも、久伊豆神社、八坂神社、諏訪神社、稲荷社、といった境内社がある。
金灯籠(銅灯籠)は1829年建立。久喜市指定文化財「鷲宮神社関係資料」の一つ。
寛保治水碑は、1743年に利根川改修の完工記念に長州藩藩主・毛利宗広が奉納。埼玉県指定史跡。
ガラス張りの神輿庫内に収められた千貫神輿は寛政年間(1789-1791年)製作。7月の八坂祭で台車に乗せて巡行。
境内には鶏も飼育されている。
神代創建の由緒
鷲宮神社は神代創建の由緒を持って関東最古の神社を名乗っているが、当社の存在が実際に史料に登場するのは『吾妻鏡』に記載された建長3年(1251年)が最初となる。また神代の創建だと称する神社は、関東にも意外とある。なお、日本において神代とは、神武天皇が大和・橿原宮において即位するまで(つまり皇紀が始まる前)の期間を指す。
鷲宮神社が神代に天穂日命と武夷鳥命によって神代に創建されたとする由緒は『鷲宮町史』に複数収録されており、内容は多少相違もあるがまとめると、
「大己貴命は天羽車の大鷲に乗り妻を求めて当地に降臨し開拓。天穂日命と子の天夷鳥命は大己貴命に奉仕するため当地に至り宮を設ける。大己貴命が舞を自ら舞った(もしくは民に教えた)のが当社の神楽の起源。大己貴命は大和三輪山へ去るが、神蹟を留めるためその幸魂を別宮に祀ったのが神崎(=神幸)神社で、後に幸魂が埼玉に転訛。幸魂を祀ったのが酉の日だったのでこれが酉の日の祭の起源」などという趣旨のものになっている。
「鷲宮」の語源としても、土師ノ宮が転訛したという説のほか、大己貴命が乗っていた大鷲に由来する説、神崎神社を祀った酉の日・酉の祭に由来する説、武夷鳥命は大鳥なので大鳥明神と称したが鳥類最強は鷲なので鷲宮が呼び名となったとの説、天穂日命と武夷鳥命が当地まで乗ってきた船名に由来する説、など各種の説がある。
年中行事
当社の鷲宮催馬楽神楽(土師一流催馬楽神楽)は関東神楽の源流といわれ、当社では年6回(1月1日の歳旦祭、2月14日の年越祭、4月10日の春季祭、7月31日の夏越祭、10月10日の秋季祭、12月初酉日の大酉祭)奏される。国指定重要無形民族文化財。
3月28日 例祭
当社で最も重要な祭典で、厳かに進められる。
7月第4日曜 八坂祭
八坂祭「天王様」は境内社八坂神社の祭礼。千貫御輿を神輿車に載せての渡御や、山車5台の引き回しが行われる。
12月初酉の日 大酉祭
いわゆる酉の市。当社の伝承では酉の市の本家はかつては当社だったが、元禄時代(1688-1704年)末期に当社の大宮司が禁止し、江戸に浅草鷲神社を分祀して本家を取られた、としている。