永島家住宅
永島家住宅は、埼玉県川越市の、西武新宿線の本川越駅より北東へ徒歩14分、またはJR川越線・東武東上線の川越駅より北へ徒歩23分の地に位置する古民家。蔵造りの商家町の近くにある。
川越藩の中級武士の官舎として建てられたもので、現在では埼玉県内で現存唯一の武家屋敷であり、川越市指定史跡となっている。
敷地はカラタチの生垣で囲まれている。川越藩の武家屋敷の外囲いは塀ではなくカラタチの生垣と決められていた。
左端の土間や仏間などがある部分は明治14年以降に、中央の玄関がある部分は江戸後期に、右端の下男部屋は幕末~明治14年頃に建てられた。
なお、下男部屋とは永島家での呼称であり、当初の用途は不明。
この面は江戸後期に建てられた武家屋敷時代。左側は座敷など、右側は茶の間など。
この面は、左端は下男部屋(幕末~明治14年頃)、右端は座敷など(江戸後期)。
庭園は、かつての敷地の一部が売却されて民家となっているため、江戸期よりは狭くなっている。
家主の変遷
この屋敷は江戸後期に武家屋敷(官舎)として建てられた。
19世紀前期頃は物頭(300石)の勾坂鹿平が住んでおり、以降は江戸詰の御典医(250-350石)の堤愛郷、250石の三野半兵衛と続き、明治維新の頃は御典医(110石)の石原昌迪の屋敷となっていた。その子の石原久が大正6年、商人であった永島家に邸宅を売却し、平成22年に川越市に土地と建物を寄贈した。