龍蔵寺 & 三俣諏訪神社
龍蔵寺と三俣諏訪神社は、埼玉県加須市の、中心部近くにある寺社。
室町時代の文和3年(1355年)、当地の民を悩ませた利根川の白龍を教蔵上人が念仏で得道させ龍は消えた。そして龍の頭があった所にイチョウを植え、それぞれに龍蔵寺と諏訪神社を建てたと伝える。
龍蔵寺
龍蔵寺は、埼玉県加須市の、東武伊勢崎線の加須駅より北へ徒歩12分の地に位置する、浄土宗の寺院。正式には無着山龍光院龍蔵寺。
室町時代の文和3年(1355年)、当地の民を悩ませた利根川の白龍を教蔵上人が念仏で得道させ龍は消えた。そして龍の頭があった所にイチョウを植え龍蔵寺(白龍と教蔵から一字ずつ採った)を創建し、尾の所にもイチョウを植え弁財天を祀ったと伝える。
山門は、羽生市の大聖院(維新で廃寺)に江戸後期に建立され、明治初期に当寺に移築。
本堂は1844年建立と伝えるが、実際は1845年以降と推定されている。加須市指定有形文化財。
本尊は阿弥陀如来。
二十三夜堂(扁額は二十三夜社)は1640年建立。
鐘楼は昭和53年建立。
この大イチョウは、創建伝承において白龍の頭があった所に植えたと伝える木。加須市指定天然記念物。
なお、三俣諏訪神社の方のイチョウは枯死し現存しない。
龍水井戸は、境内に棲んでおた大きな白龍が、毎日水飲んだと伝える井戸。檀家の手桶置場になっている。
弁天堂は、白龍の解脱の際に弁財天を安置したのが創建。
このほかの小堂としては、淡島堂もある。
三俣諏訪神社
三俣諏訪神社は、埼玉県加須市の、東武伊勢崎線の加須駅より北へ徒歩13分の地に位置する鎮守社。
当社の縁起では、上記龍蔵寺の創建伝承と同様、得道させた龍の頭があった所にイチョウを植え龍蔵寺を創建し、尾の所にもイチョウを植えたところまでは同じだが、その後、尾の所に建てたのは弁天社ではなく諏訪神社となっている(イチョウは後に枯死)。更に正徳4年(1714年)には上諏訪社を勧請した。
本殿には鮮やかな彩色彫刻が施されている。また境内社金毘羅社は小学校の御真影奉安殿を移築したもの。
なお、このように当社は龍蔵寺と創建伝承で結ばれてはいるが、当社の別当寺は龍蔵寺ではなかった(別当寺は明治維新で廃寺となった)。
本殿は壁面に彩やかな彫刻が施されているが、金網+ガラスの二重の覆屋で非常に見えづらい。
境内社金毘羅神社は旧三俣尋常高等小学校(現・三俣小学校)御真影奉安殿で、昭和11年頃の竣工。
加須市中心部には他に、光明寺や千方神社などがある。