鉢形城跡
鉢形城(はちがたじょう)跡は、埼玉県大里郡寄居町の、寄居駅(JR八高線・東武東上線・秩父鉄道)より南へ徒歩11分の地に位置する中世平山城跡。
国指定史跡で、日本城郭協会選定日本100名城の一つでもあり、鉢形城公園として整備されている。
文明8年(1476年)、関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春が築城。永禄7年(1564年)以降は後北条氏の支城となったが、秀吉の小田原征伐で開城し廃城となった。
現在も、城郭全体の地形が良く残っている。
右手前が荒川。城が断崖上に築かれている様子がわかる。なお、鉢形城歴史館にはより詳細な模型があるが、館内は撮影禁止。
鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた断崖の上に築かれた天然の要害。
荒川はこの辺りは玉淀と名付けられ埼玉県指定名勝となっている。
笹曲輪は城の最北部にある、笹葉の如く小規模な曲輪。寄居駅・市街地方面から荒川の橋を渡った辺りの曲輪で、地形模型もここにある。
本曲輪は、伝御殿曲輪(荒川側の高台)と伝御殿下曲輪(伝御殿曲輪西側の低地)で成る。伝御殿曲輪(本丸)は城主の館があった。
二の曲輪(二の丸)では鍛冶工房跡などが発見されている。
二の曲輪には城山稲荷神社も鎮座する。創建年代等は不詳のようだ。
この堀は底に畝のある障子堀で、水堀であった。土塁は高さ不明なので位置を示すため低く、堀は安全性と保護性の面から浅く復元されている。
馬出は水堀で囲み土塁を積み上げることで虎口(出入口)を守り、内部の兵の動きも隠す小型の曲輪。鉢形城跡には馬出が6箇所推定されている。
三の曲輪(三の丸)は北の伝秩父曲輪と南の伝逸見曲輪で成り、間に三角池がある。
三の曲輪への虎口には土塁と四脚門がある。また奥に見える林は諏訪神社の境内(諏訪曲輪)だが、そこが馬出となっていた。
四脚門から伝秩父曲輪に入ると、左側(西側)に川原石を積んだ石積土塁が復元されている。
伝秩父曲輪(秩父氏の居館があったと伝える)には庭園や四阿が復元されている。
諏訪神社は城の守護神として勧請された。諏訪曲輪はかつては水堀に囲まれ、三の曲輪への虎口の馬出となっていた。
伝逸見曲輪には逸見氏の居館があったと伝える。この池は三角池(諏訪池)で、弁天池、送り泉水へと繋がる。
外曲輪には鉢形城歴史館もある(館内は撮影禁止)。