田宮雷電神社
田宮雷電神社は、埼玉県幸手市の、東武日光線の幸手駅より北へ徒歩8分の地に位置する鎮守社。
垂仁天皇10年(BC20年)、天地が鳴動して田の中に雷神像(女神像)が落ちたのでそれを祀って創建。異伝では、景行天皇40年(AD110年)、東征中の日本武尊が入江だった当地を船で行軍し、島だった地に上陸して武雷命を祀ったのが当社だとする。
また境内社の瘤神社は、神代に遡る独自の縁起がある(後述)。
かつては当社が田宮庄(後の幸手領)の総鎮守であったが、江戸後期に日光街道の整備が進んで幸手宿の中心が仲町に移ると、次第に現・幸宮神社が尊崇を集めるようになり、明治以降は幸宮神社が総鎮守とされるようになった。
現在の主祭神は別雷之命(賀茂別雷命のことか)であるが、八雷神の一柱である裂雷命との伝や、上述のように武雷命との伝もある。
本殿は江戸末期の1856年建立。
瘤神社・疣大権現・疱瘡宮
境内には、一塊になった瘤(こぶ)神社・疣(いぼ)大権現・疱瘡(ほうそう)宮の石碑があり、皮膚病関連の信仰を集めた。
瘤神社には独立した縁起がある。
瘤神(癭神)は記紀等には登場しない神(というよりこの縁起以外には登場しない神)で、イザナギが衣投げたときに出現したとする(黄泉から帰って穢れを祓うため禊をした際か?)。瘤神はのちにスサノオの禁じるところに従って心を改め、今後は日本人の瘤を治すとスサノオに誓った。そして垂仁天皇の代に田宮雷電神社が創建された際、その末社として祀られた、と言うものである。
左から、瘤神社、疣大権現、疱瘡宮。疱瘡宮は、疣神社の右隣りに頭をのぞかせている四角い石碑。
明治維新時の神仏分離まで、近くの宝持寺が当社の別当寺であった。
近くには幸宮神社や聖福寺、宝持寺などがある。