鑁阿寺
鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市の、JR両毛線の足利駅より北西へ徒歩10分の地に位置する大寺院。かつては真言宗豊山派の別格本山であったが、戦後に独立して真言宗大日派の総本山となった。
鎌倉時代の建久7年(1197年)、源姓足利氏二代目の足利義兼(晩年出家し鑁阿と称した)が自らの居館に建てた持仏堂が当寺の始まりで、三代目の義氏が伽藍を整備して足利氏の氏寺とした。一族の守り本尊である大日如来を祀っている(なお、源氏ではなく藤原氏の足利氏も存在したが、源頼朝に滅ぼされた)。
国宝の本堂をはじめ、経堂と鐘楼は重要文化財、楼門、東門、西門、多宝塔、御霊屋、太鼓橋は県文化財、宝庫、北門、観音壇厨子、蛭子堂、御水屋、不動堂は市指定文化財、と文化財建築の宝庫。
また境内は土塁と水堀に囲まれた、中世の足利氏の居館跡で国の史跡に指定され、日本100名城の一つにも選定されている。
太鼓橋は江戸後期の、山門は室町時代の1564年の建立で、ともに栃木県指定有形文化財。
御水屋は明治22年建立。足利市指定有形文化財。
国宝の本堂(大御堂、大日堂)は鎌倉時代の1299年建立。鎌倉の禅宗様を早期に先取した、東日本最古の禅宗様本堂。背面向拝は室町末期までに付加された。
なお、本堂内の観音壇厨子は足利市指定有形文化財だが非公開。
多宝塔は江戸初期の1629年建立。栃木県指定有形文化財。
鐘楼は鎌倉時代の建立。国指定重要文化財。
鐘楼の周囲には心字池が整備されている。
経堂は室町時代の1407年建立。国指定重要文化財。堂内には八角輪蔵がある。
不動堂(中御堂)は江戸中期の建立。足利市指定有形文化財。
蛭子堂(時姫堂、智願寺殿御霊屋)は明治期改築の旧薬師堂。足利市指定有形文化財。鑁阿寺を開いた足利義兼の妻である北条時子(法名・智願寺殿)を、蛭子尊とともに祀る。
校倉造の大黒堂は江戸中期の1752年建立。宝庫として建てられた。足利市指定有形文化財。
大酉堂は室町時代に足利尊氏を祀る足利尊氏霊屋として創建されたが、明治中期に大酉大権現となった。
稲荷堂の本殿は胴体壁面に彫刻が施され、屋根は正面及び背面に千鳥破風と軒唐破風が付く。
御霊屋は江戸後期の建立で、正門、拝殿、本殿、附属塀で構成されている。栃木県指定有形文化財。
もともとは当寺の鎮守である足利大権現を祀る社殿(赤御堂)であったが、明治4年に足利累代の像を合祀し御霊殿とした。
社殿背後に源義国の墓碑が移設されている(移設時期は不明となっている)。
東門は鎌倉時代の建立で栃木県指定有形文化財。足利市居館が鑁阿寺となる1299年頃の建立と推定され、足利氏居館の城門の可能性がある。
西門も鎌倉時代の建立で栃木県指定有形文化財。東門と同様、足利市居館が鑁阿寺となる1299年頃の建立と推定され、足利氏居館の城門の可能性がある。
北門は、江戸後期の1845年に子院であった千手院の山門として建立され、大正7年に鑁阿寺に移築された。足利市指定有形文化財。
境内は中世の足利氏館跡で、土塁と水堀で囲まれており、国指定史跡。
また財団法人日本城郭協会により日本100名城の一つにも認定されている。