西新井大師(総持寺)
西新井大師(総持寺)は、東京都足立区の東武大師線の大師前駅の駅前にある、真言宗豊山派の別格本山。
正式には五智山遍照院總持寺。
天長3年(826年)創建(由緒は後述)。
第二次大戦の戦禍を免れたため、戦前からの堂宇が比較的残る。
山門は江戸後期の建立。足立区指定有形文化財。
大本堂は昭和47年にRC造で建立。
本尊は十一面観音および弘法大師。
塩地蔵はイボ取りに霊験があり、願をかけて功徳があった場合は塩を倍返しする。塩地蔵に類するものは東京都区部では、西新井大師のほかにも約10社寺にある。
六角観音堂は聖観音を祀る。
三匝堂はサザエ堂(螺旋階段を一方通行でたどれば入口→最上階→出口と進む仏堂)で、足立区登録有形文化財。
江戸後期の1834年に建立され、明治17年の改造で内階段が外階段になったと言うが、現在は外階段も無い。
西新井の地名の由来となった井戸がある。
この池の前には樹齢700年と言われる藤があり、4月中~下旬頃に満開となる。
四国霊場と高野山の砂が敷かれている。
この一角には稚児大師堂などもある。
大本堂の西脇には弁天池がある。
弁天池の島には弁天堂があり、その付近には石橋「きよめ橋」や滝がある。
権現は、当寺創建の際に地鎮のため祀った。
如意輪堂は如意輪観音を祀る。女性の諸願成就に霊験あり、女人堂とも呼ぶ。
奥之院は、江戸後期の1805年に高野山奥之院を模して建立。
出世稲荷は当寺の鎮守。社殿の壁面全面に彫刻が施されているが、幕で良く見ることが出来ない。
東門は平成26年建立。
光明殿と八角堂は昭和55年建立。
光明殿は法事等に利用する。阿弥陀如来を祀る。八角堂は弘法大師空海を祀る。
境内には凝った造形の大型石塔も何基か立つ。
牡丹園
西新井大師には3ケ所の牡丹園(第二・第三・第四牡丹園)があり、うち最も大きい第二牡丹園では百品種2500株の牡丹が咲き誇る。4~5月頃の開花期のみ公開(無料)。この第二牡丹園の隅にはアジサイや花菖蒲も植えられており、その区画はその開花時期に公開される。
年中行事
年始 - 除夜の鐘 & 初詣
西新井大師の除夜の鐘は、元旦0時より、並んだ全員が鐘を撞くことが可能。また初詣スポットとしても多くの参拝者がある。
1月21日 - 初大師
弘法大師の縁日は毎月1・8・11・21・28日だが、年の最初の縁日は1月21日となる。達磨などの縁起物を売る露店が出る。
2月3日 - だるま供養・節分会
西新井大師では節分の日には、ご蠕虫に不要になった達磨をお焚き上げし、午後に豆まきをする。豆まきには有名人が参加する。
7月頃 - よさこいフェスタ
境内及び門前町で、多くの団体がよさこいを披露する。この行事に関する詳細は「西新井大師 よさこいフェスタ」の記事を参照。
7月 - 風鈴祭り
日本全国の様々な風鈴を約1ヶ月間、展示即売(訪れた際は風鈴はこのテントのみであった)。日曜日には和太鼓も奉納演奏される。
8月下旬 - 西新井大師夏まつり
夕方から盆踊りが開催される。
12月21日 - 納めの大師
一年で最後の縁日で、東京では年内で最後だという熊手市が立つ。
由緒
天長3年(826年)、巡錫中の弘法大師空海が当地で休息していると十一面観音が顕現して当地で流行している悪疫の退散の祈祷を指示。大師は観音像を刻んで護摩を奉修。その後、残材で自像も刻んで枯井戸に投じ、この像が民の災厄を肩代わりするよう祈願すると疫病は収束した。ある夜、枯井戸から大師像が護摩壇へと飛び出し、井戸からは清水が湧出したので、当寺が創建された。
異伝では、大師像は枯井戸から飛び出したのではなく村人が井戸から掬い出したとも言う。また別の異伝では、大師像は枯井戸に投じられたのではなく土中に埋められ、それを掘り起こすと清水が湧いたとも言う。
また、創建年は弘仁11年(820年)との異伝もある。
新しく清水が寺の西に当たる地に湧いたのが「西新井」の語源となった。