将門塚
将門塚(しょうもんづか、まさかどづか)は、東京都千代田区の、地下鉄の大手町駅の近くに位置する史跡。
都有地で、大手町の高層ビル街の一角にある。
平将門の首を埋めた地と伝える。東京都指定旧跡。
平将門は延慶2年(1309年)に神田明神に合祀され、現在はその祭神3柱のうちの1柱となっている。
なお、神田明神は、慶長8年(1603年)に神田駿河台に遷座するまでは当地にあった。
大正12年の関東大震災までは実際に高い塚が残っていたが、震災後に整地事業で取り壊された。
この首塚では9月の彼岸の日に塚前祭が執り行われ、将門塚の宮司による祝詞奏上と日輪寺住職による読経後、将門塚で将門塚例祭が催される(非公開)。また5月の神田祭の神幸祭では鳳輦・神輿が立ち寄って神事を行う。
下総国豊田・猿島郡(茨城県南西部)の武将とされる平将門は、天慶2年(940年)に朝廷に対し反乱を起こしたが、翌年に征討された。
伝説ではその後、京都で晒された将門の首級は東方に飛び去って当地に落ち、大地が鳴動したため、その首を塚に葬って供養すると収まったという。
徳治年間(1303-1308年)、平将門の墳墓周辺で疫病が流行したため将門は祟り神として恐れられたが、時宗僧の真教が墳墓を修復し供養すると収束。
延慶2年(1309年)には将門は神田明神に合祀され、当地にあった、神田明神別当寺の日輪寺も、この際に天台宗から時宗に改められた。日輪寺(山号は神田山)はその後移転し、現在は台東区西浅草にあり、現在も将門の命日である2月14日に法要を営んでいる。
将門塚保存会大神輿は平成17年製作。八棟造で、前後に軒唐破風が付く。
では、大手町から渡御して神田明神に宮入する。
日本各地の将門の墓・首塚
実は、将門の墓または首塚などと称する伝説地は、関東を中心に多数ある。例えば以下に列挙するようなものがある(将門の本拠地も茨城県周辺と言われ、実際伝承地もその周辺が一番多い)。
- 将門墓(茨城県守谷市高野の海禅寺内)
- 将門墓(茨城県桜川市大国玉の五輪塔)
- 将門の胴塚(茨城県坂東市神田山の延命院内)
- 将門の首塚(茨城県小美玉市西郷地の玉嵐殿雷神社内)
- 八幡神社(茨城県古河市高野。将門の首を当地に祈り落とし創建)
- 大原神社(栃木県足利市大前町。将門の胴体ありとも。手は五十部町の大手神社、足は樺崎町の子ノ権現に)
- 将門の胴塚(群馬県太田市只上の只上神社内)
- 将門の首塚(埼玉県幸手市神明内の浄誓寺内)
- 将門墓(千葉県取手市岡の大日山・仏島山)
- 将門墓(千葉県市原市惣社の国分寺の将門塔)
- 将門の首塚(千葉県市川市八幡の八幡知らずの森の伝説の1つ)
- 将門墓(千葉市の千葉大病院の七天王塚の伝説の1つ)
- 将門墓(千葉県東金市御門の将門稲荷。将門の遺体を祀る)
- 兜神社(東京都中央区日本橋兜町。将門の首を兜ごと埋めたとも)
- マサカドサマ(東京都八王子市上恩方。将門の首を祀ったと伝)
- 将門墓(山梨県甲州市勝沼町の徳岩院の裏山にあり)
- 将門の首塚(岐阜県可児市中恵土)
- 御首神社(岐阜県大垣市荒尾町。飛ぶ将門の首を射落としたのを祀るとも)
- 将門の首塚(静岡県掛川市十九首塚の十九首塚)
- 将門の首塚(名古屋市南区の丹八山内)
- 将門首塚跡(京都市下京区の民家内)
これらの他にも、討たれた将門は影武者で本物は埼玉県吾野の奥で余生を送ったとか、鳥取県三朝町に逃亡して土着した、などの伝承がある。