将門塚
将門塚(しょうもんづか、まさかどづか)は、東京都千代田区の、地下鉄の大手町駅の近くに位置する史跡。
高層ビル街の一角にある都有地で、平将門の首を埋めた地と伝える。東京都指定旧跡。
下総国豊田・猿島郡(茨城県南西部)を拠点とした平将門は、天慶2年(940年)に朝廷に対し反乱を起こしたが、翌年に討伐された。
その後、京都で晒された将門の首級は東方に飛び去って当地に落ち、大地が鳴動したため、その首を塚に葬って供養すると収まったという。
異伝では、首は将門の郎党が持ち帰り当地の観音堂に祀った(築土神社)とか、京都で晒された首を目指して将門の体が常陸国から追ったが当地で倒れ、妖異があって民が恐れて天慶3年(941年)に瞎(かため)明神または体(からだ)明神として祀った(神田明神)、というものもある。
この塚の将門を祀る神社として、天暦4年(950年)には築土神社が、延慶2年(1309年)には神田明神が、更に酒井雅楽頭家の上屋敷となった江戸時代には将門稲荷が祀られた。
大正12年の関東大震災までは高い塚と蓮池が残っていたが、震災後に整地事業で取り壊された。その際の発掘調査で出土した石棺内には、陶片や瓦を含む土があるのみで、既に盗掘されていた。整地後に大蔵省が仮庁舎を建てたが、祟りとされるものが続き移転。昭和2年に鎮魂祭が営まれ塚として再整備された。
第二次大戦後、占領軍の命令で整地中に日本人作業員に事故が起き、昔の酋長の墓として占領軍を説得し、再び塚として整備された。
祭祀
この首塚では9月の彼岸の日に塚前祭が執り行われ、将門塚の宮司による祝詞奏上と日輪寺住職による読経後、将門塚で将門塚例祭が催される。
また5月の神田祭では、土曜日の神幸祭では鳳輦・神輿行列が立ち寄って神事を行い、日曜日には、将門塚保存会大神輿が大手町から渡御して神田明神に宮入りする。
将門塚保存会大神輿は平成17年製作。八棟造で、前後に軒唐破風が付く。
関連する社寺
築土神社
公式HPの由緒では、天暦4年(950年)、将門の首をその族党が首桶に入れて京都から持ち去り、現・大手町(戦前の社誌には現・北の丸公園とある)の観音堂に祀って津久戸明神と称した。
異伝では、天暦4年(950年)、将門の首を埋めた塚が鳴動・発光し異形の武将が現れたので、民が恐れて神として祀ると収まったのが創建。
築土神社は将門塚近くに創建されたが、延慶2年(1309年)に将門が神田明神に祀られときには、築土神社は既に移転していたとも言う。
文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城の北西に社殿を造営。天文21年(1552年)に田安郷(飯田橋駅~田安門あたりの一帯)に移転し、田安明神や江戸明神とも称した。天正17年(1589年)には牛込見附米倉屋敷跡(現・JR飯田橋駅付近)へ、元和2年(1616年)には現・新宿区筑土八幡町へと移転し、築土明神と改称。
明治7年、邇々杵尊を主神として築土神社と改称(将門は相殿に祀る)。昭和21年に現・九段中等教育学校辺りに、同29年に現在地へと遷座。
なお、当社においては、将門の首は、塚に埋められたとも、首桶内にあった(空襲で焼失)とも、本殿内にあった(空襲で焼失)とも言う。
神田明神
徳治年間(1303-1308年)、平将門の墳墓周辺で疫病が流行したため将門は祟り神として恐れられたが、時宗僧の真教が墳墓を修復し供養すると収束。
延慶2年(1309年)には将門は既存の祠に合祀され神田明神(神田神社)と称した。
現在は大己貴命・少彦名命・平将門命を祀る。
日輪寺
延慶2年(1309年)に時宗僧の真教が将門を神田明神に祀った際、その地にあった日輪寺も、天台宗から時宗に改められ、山号を神田山とし、神田明神の別当寺を務めた。
日輪寺はその後、転々とし、現在は台東区西浅草にある。現在も将門の命日である2月14日には法要を営んでいる。
日輪寺には、真教自筆の六字名号(南無阿弥陀仏)を模して正和2年(1313年)に建てられた板碑が残る。
この板碑は将門の為に建てられたものかは不明だが、現在の将門塚に立つ石塔婆はこの板碑を昭和45年に複製したもの。
なお、徳治2年(1307年)に真教が将門に蓮阿弥陀仏の法号を贈った際に刻まれた板碑は、拓本も含め失われている。
日本各地の将門の墓・首塚
将門の墓または首塚などと称する伝説地は、関東を中心に多数ある。例えば以下に列挙するようなものがある。
将門の本拠地は茨城県周辺と言われ、実際伝承地もその周辺が一番多い。
以下の他にも、討たれた将門は影武者で本物は埼玉県吾野の奥で余生を送ったとか、鳥取県三朝町に逃亡して土着した、などの伝承がある。
- 将門墓(茨城県守谷市高野の海禅寺内)
- 将門墓(茨城県桜川市大国玉の五輪塔)
- 将門の胴塚(茨城県坂東市神田山の延命院内)
- 将門の首塚(茨城県小美玉市西郷地の玉嵐殿雷神社内)
- 八幡神社(茨城県古河市高野。将門の首を当地に祈り落とし創建)
- 大原神社(栃木県足利市大前町。将門の胴体ありとも。手は五十部町の大手神社、足は樺崎町の子ノ権現に)
- 将門の胴塚(群馬県太田市只上の只上神社内)
- 将門の首塚(埼玉県幸手市神明内の浄誓寺内)
- 将門墓(千葉県取手市岡の大日山・仏島山)
- 将門墓(千葉県市原市惣社の国分寺の将門塔)
- 将門の首塚(千葉県市川市八幡の八幡知らずの森の伝説の1つ)
- 将門墓(千葉市の千葉大病院の七天王塚の伝説の1つ)
- 将門墓(千葉県東金市御門の将門稲荷。将門の遺体を祀る)
- 兜神社(東京都中央区日本橋兜町。将門の首を兜ごと埋めたとも)
- マサカドサマ(東京都八王子市上恩方。将門の首を祀ったと伝)
- 将門墓(山梨県甲州市勝沼町の徳岩院の裏山にあり)
- 将門の首塚(岐阜県可児市中恵土)
- 御首神社(岐阜県大垣市荒尾町。飛ぶ将門の首を射落としたのを祀るとも)
- 将門の首塚(静岡県掛川市十九首塚の十九首塚)
- 将門の首塚(名古屋市南区の丹八山内)
- 将門首塚跡(京都市下京区の民家内)