東京第二陸軍造兵廠板橋製造所遺構
東京第二陸軍造兵廠板橋製造所(略称・二造)は、現在の東京都板橋区に置かれていた陸軍の兵器製造部門。加賀一丁目付近に遺構が点在する。
明治9年(1876年)、加賀藩前田家下屋敷跡に陸軍砲兵本廠板橋属廠(板橋火薬製造所)として発足。
昭和15年(1940年)に東京第二陸軍造兵廠板橋製造所と改称、終戦まで続いた。
板橋区は、既存の加賀公園に野口研究所跡及び理化学研究所板橋分所跡を加え、(仮称)板橋史跡公園を整備中。
なお、東の北区方面には東京第一陸軍造兵廠が置かれ、現在もその遺構が点在する。
(仮称)板橋史跡公園の予定地
加賀公園
加賀公園内には、江戸時代に加賀藩前田家下屋敷の庭園の築山跡に、明治10年に築造された発射場の射垜(標的)が残る。
入口は塞がれているが、内部はトンネル構造となっている。
なお、前田家下屋敷時代の建物は現地には一切残されていないが、区内の観明寺に通用門と稲荷社が移築現存する。
加賀藩下屋敷庭園の築山は発射場の射垜(的)に利用された。
野口研究所跡
野口研究所は、終戦直後の昭和21年に二造の跡に転入し、平成29年に転出した。跡地の西側は住宅地となったが、東側は板橋区が取得。
現在は整備中につき非公開。
現在は非公開だが、隣の加賀公園から、金網公園越しに整備中の様子を見ることができる。
理化学研究所板橋分所跡
戦後の昭和21年、理化学研究所の板橋分所が二造の施設を利用して置かれたが、平成28年閉鎖され、板橋区が取得。
理研時代には、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹や朝永振一郎の研究室が置かれた。
現在は整備中につき非公開。
旧224号家は昭和10~12年頃に物理試験室として建造。RC造(一部煉瓦造)の建物を3棟連結。
旧357号家は昭和16年に爆薬理学試験室として竣工。
愛誠病院
愛誠病院の敷地内にも、旧二造遺構が6棟現存と資料にはある。以下のもののほか、旧36号屋と旧35号屋がある。
精神神経科外来棟は旧168号家。大正10年当時は第二洗断室、終戦時は混同室。
作業療法棟は旧256号家。大正10年当時は篩分室、終戦時は爆薬理学実験室。
本部事務棟兼第3病棟は旧164号家。大正10年当時は洗滌室、終戦時は物置。
第11病棟は旧438号家。昭和18年に化学実験室として竣工。
第一病棟は旧36号家。大正10年当時は第二硫酸庫だったが、震災で半焼半壊し、終戦時は綿薬配合室。
第二病棟は旧35号家。大正10年当時は倉庫で、震災で半焼半壊し、終戦時は駆水室。
戦前のレンガ建築に見える。資料にある旧164号家はこれの誤りか。
東京家政大学
東京家政大学の板橋キャンパスには。明治後期から関東大震災前に建造された3棟の二造の遺構が残り、板橋区登録有形文化財となっている。
21号館は旧220号家(第四溜置室)。
22号館は旧225号家(裁断室)。
58号館は旧261号家(旧乾燥室)。
その他
圧磨機圧輪記念碑
加賀西公園内には、二造で使用された圧磨機圧輪がモニュメントとなっている。
幕末の1865年にベルギーで購入したものを、大正11年に記念碑にした。板橋区指定史跡。
コミュニケーションステージ
加賀一丁目みどりばし緑地にあるこのモニュメントの一部に、二造にあったレンガ倉庫の壁面が、わずかだが保存されている。
電気軌道跨線橋跡
北区内だが、明治28年に建造された、板橋火薬製造所の電気軌道の跨線橋の橋台が一部残っている。