八王子城跡
八王子城跡は、東京都八王子市の、JR中央線・京王線の高尾駅より北西へ車10分に位置する中世山城跡。後北条氏の本城である小田原城の支城。国指定史跡で、日本城郭協会選定日本100名城にも選定されている。
北条氏康の三男・氏照により天正10年(1582年)頃より城山(460m)に築城が開始され、同15年(1587年)頃には氏照が滝山城より移ってその居城とするが、同18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に際して落城し、廃城となった。
山頂の要害区、中腹の居館地区、麓の根小屋地区(城下町)で構成されている。
八王子城の全体模型は登山口駐車場近くにある。
根小屋地区
根小屋地区は、八王子城が築城された城山の東側の麓に広がる城下町で、家臣団の屋敷や寺院があった地区。現在は民家や寺がある。
奥に見える城山の山頂付近に、城の要害区(本丸など)があった。
八王子城を築いた城主北条氏照は八王子城落城時は小田原城に居たが、降伏後に切腹し、小田原の現・永久寺に葬られたとされる。
八王子にあるこの墓は江戸時代建立の供養塔で、家臣の墓とともに東京都指定旧跡。
居館地区
居館地区は、城山の中腹に設けられた、大手門や虎口、御主殿などがあった地区。
攻められた際には曳橋を壊して侵入を阻んだとされる。ただし当時の橋の正確な場所や構造は不明で、現在の曳橋は観光道として整備されたもの。
御主殿曲輪への虎口(入口前の道)にはかつては櫓門も立っていた。
御主殿曲輪には主殿(城主・北条氏照の居館)や会所(宴会場などに利用)、庭園などがあった。
落城の際、武将や婦女子らがこの滝の上で自刃し滝に身を投じたと伝える。
要害地区
要害地区は、城山(460m)山頂付近に設けられた、城郭で最重要な本丸などの曲輪の跡。また地名「八王子」の語源となった八王子神社も鎮座する。中腹の駐車場からは徒歩でのアプローチとなり、所要時間は30~40分ほど。
要害地区への登山道は八王子神社の参道を兼ねており、鳥居が登山道沿いに2基立つ。
小宮曲輪の別名は三の丸、一庵曲輪。
松木曲輪の別名は中の丸、二の丸。
山頂の本丸は城の中心で、最も重要な曲輪。祠には牛頭天王が祀られている。
八王子神社
本丸直下には地名「八王子」の語源となった八王子神社が祀られている。山頂に延喜13年(913年)に顕現した牛頭天王とその8王子を、同16年(916年)に祀って創建。八王子城築城後はその守護神として尊崇された。鳥居は山頂へと至る登山道兼参道沿いに2基ある。
手前の祠は、落城時に城代であった横地監物吉信を祀る横地社。
本殿は江戸末期築。