真覚寺 & 高宰神社
真覚寺は真言宗智山派の寺院で、高宰神社は隣りに鎮座するその旧鎮守社。
真覚寺には湧水を利用した庭園があり、高宰神社には彩色彫刻の多用された本殿がある。
真覚寺
真覚寺は、東京都八王子市の、京王高尾線のめじろ台駅より北へ徒歩10分の地に位置する、真言宗智山派の寺院。正式には常光山観音山真覚寺。
鎌倉時代の文暦元年(1234年)に創建され、室町時代の応永18年(1411年)に観音堂の別当として中興。
湧き水を利用した心字池を中心に堂宇が配置され、境内は整っている。
明治元年の神仏分離令まで、当寺は隣接する高宰神社の別当寺であった。
本尊は不動明王。
鐘楼は江戸後期の天保年間(1830-1844年)に建立。
観音堂は応永の中興時の古材で1633年に建立。
江戸時代より当寺でヒキガエルの雄が雌を求めて鳴く様は蛙(かわず)合戦と評された。後には市の天然記念物にもなったが、開発で蛙が減り、現在は市指定旧跡「真覚寺蛙合戦の旧地」に指定替えされている。
高宰神社
高宰(たかさい)神社は、東京都八王子市の、京王高尾線のめじろ台駅より北へ徒歩10分の地に位置する鎮守社。
名称不明の貴人が鎌倉時代の承安年間(1171-1175年)とも南北朝時代の応永年間(1394-1428年)初期とも言われる時期に現れ、御所水(台町)に暮らし、逝去後は杉山峠(別名は御殿峠、八王子市片倉町)に埋葬された。その後、広園寺開山僧が境内に遷し小蔵主明神とした。後に古明神塚(めじろ台4丁目)に移り、慶安年間(1648-1652年)に少し東に遷って高宰明神と称すようになり、更に後に山上から麓の真覚寺境内に遷った。
本殿には壁面全面に彩色彫刻が施されている。
明治元年の神仏分離令まで、隣の真覚寺が別当寺であった。
覆屋内に収まる本殿の壁面には、彩色された彫刻が多用されている。江戸後期の1847年建立。
神楽殿の背後に見えるのは真覚寺の観音堂(地続きだが間に柵が設けられている)。
高宰神社の祭神
江戸期の地誌『武蔵名勝図会』などでも、当社の祭神は名前の伝わらない貴人で、当地に現れたのは鎌倉時代の承安年間(1171-1175年)とも南北朝時代の応永年間(1394-1428年)初期とも伝えているが、その上で南朝の公卿ではないかと推測している。
境内に掲示されている由緒では、祭神は藤原信房が有力だが、一説には高倉宰相某とも言い、また明治の明細帳では伊弉諾尊とし、現在の登録簿では単に高宰の神としてあるという。
境外摂社 大室神社
大室神社(御室神社)は、高宰神社から北へ約100m(徒歩2分)の距離にある、高宰神社の境外摂社。
その祭神は高宰神の内室(妻)で、高宰神と共に当地に至り、その死後に住民に祀られたと伝える。