千葉大学 亥鼻キャンパス の近代建築等
千葉大学の亥鼻キャンパスは、千葉県千葉市の、JR内房線の本千葉駅より東へ徒歩14分の地に位置する学術・教育機関。
明治7年に設立された共立病院を源流として、改組・改称を繰り返し、現・医学部旧本館が竣工した大正11年当時は千葉医科大学であった。昭和24年に千葉大学医学部・薬学部に改組。
医学部旧本館は、竣工当時は東洋一の病院と謳われた。
近代建築
旧本館は千葉医科大学附属医院の本館として昭和11年竣工。
病院建築様式は、当時主流であった「パビリオン型」に対し、当館は「ブロック型」という画期的な設計。
サークル会館は、千葉医科大学附属医院の神経科精神科病棟として昭和2年竣工。
前身である千葉医学専門学校時代の大正7年に竣工した、当時の附属薬学専門部(現・薬学部)の校舎は、屋根飾りのみ保存。
現代建築
ゐのはな記念講堂は、医学部記念講堂として昭和39年(1964年)竣工。
設計は世界的建築家・槇文彦。
史跡
当キャンパス内外には、七天王塚(七つ塚)と呼ばれる7基の塚がある(敷地内に5基、外だが至近距離に2基)。
これは、千葉氏が、猪鼻城(千葉城)の大手口に、崇敬する北斗七星(妙見菩薩)の配置に牛頭天王を祀ったものとも推測されている。
また、千葉氏の七人の兄弟の墓、平将門の七騎武者の墓、平将門本人の墓、などの伝説もある。
千葉市指定史跡。