成顕寺
成顕寺(じょうけんじ)は、千葉県流山市の、東武野田線の豊四季駅より北へ徒歩11分の地に位置する、日蓮宗の寺院。
山号は通法山。
大同年間(806-810年)、下総の戸張郷の沼に棲み民を害する龍神を真言僧が調伏し、金脱山道場寺を建てて龍神を風早明神として祀った。
後世、源頼朝が、風早明神の松に掛けた鞍を神前にて馬に掛けたことに因み鞍掛大龍王と改めたとも、地名「駒木」の由来となったとも言う。
弘安年間(1278-1288年)、成顕寺の真言僧と日蓮宗の日朗が法論を交わし、成顕寺側は敗北し、真言僧は自害、寺は日蓮宗に改宗。異伝では、日朗の実家・平賀家と駒木諏訪神社の社家かつ成顕寺の別当の高市家が縁組し改宗したという伝や、建治年間(1275-1278年)に当地に龍神の災いで悪疫が流行していたのを日朗が法華経により調伏したのでその村がこぞって日蓮宗に改めたとも。
明治維新時の神仏分離まで、駒木諏訪神社が拝殿で、成顕寺はその奥ノ院とされており、神仏習合色が見られる寺。
正面は龍王堂、手前にあるのは井戸屋形。
龍王堂と本堂は構造は異なるが、大屋根を架けて結合し一体と成っている。江戸末期の1864年建立。
龍王堂は諏訪明神(鞍懸大龍王)を、本堂は本尊である釈迦牟尼仏を祀る。
龍王堂の左に連結されている福聚閣(大黒堂)は比較的新しい。
8月22~23日に諏訪大明神大祭が催され、万灯練供養や餅つきが行われるほか、模擬店も出る。この日程は、かつては当寺が別当寺を務め、また奥ノ院たる当寺への拝殿でもあった駒木諏訪神社の例祭日程と同一である。