那古寺
那古寺は、千葉県館山市の、JR内房線の那古船形駅より南東へ徒歩13分の地に位置する真言宗智山派の寺院。正式には補陀洛山千手院那古寺。
坂東三十三観音霊場第33番札所。
奈良時代の養老元年(717年)、元正天皇の病気平癒を命じられた行基が、感じる所があって当地を訪れ、海から得た霊木で千手観音を刻み祈ると天皇が快癒したので、勅で当寺を創建。那古山の中腹にあったが、元禄16年(1703年)の地震で被災し現在地へと移転した。
本坊は昭和9年建立。右側の大蘇鉄は館山市指定天然記念物。
伽藍へ向かう表参道の入口手前にある。
仁王門は昭和36年建立。
鐘楼は昭和51年建立。
多宝塔は1761年建立。千葉県指定有形文化財。堂内にある宝塔はその附指定だが非公開。
観音堂(本堂)は1758年建立。千葉県指定有形文化財。堂内にある厨子(1781年製作)はその附指定。
本尊は、創建時に行基が自刻した千手観音像。
左手前は大黒堂で、昭和13年に商店街が建てたもの。
その右の小祠は白衣観音。背後は龍王堂と岩船地蔵。
岩船地蔵は漁業に関する信仰の対象で、祈願の際に石の小舟を1艘借りて帰り、成就すれば手作りの小舟を添えて計2艘を返す風習がある。
那古山の自然林は館山市指定天然記念物。
那古山の山上には、和泉式部及び娘の小式部内侍の墓と伝える式部塚(和泉式部供養塚・小式部供養塚)や、紫式部供養塚(1703年大地震前の本堂跡)、富士講祠などがある。
那古寺境内の隅にある日枝神社は仁寿3年(853年)創建。明治維新時の神仏分離までは、那古寺鎮守の山王権現であった。
日枝神社参道の途中にある閼伽井(あかい)は、観音堂に供える水を汲む井戸。
石段の麓には「願い石」が置かれており、この石を閼伽井か弁財天の祠の前に置くと願いが叶うという。
年中行事
那古寺の特徴的な祭礼としては、7月の観音祭礼がある。明治時代に那古6町の合同祭礼として始められた。7月18日が祭礼日で、その直後の週末には、寺院の祭礼としては珍しく山車・屋台が出る。
明治維新時の神仏分離まで、当寺は鶴谷八幡宮(館山市八幡)の別当寺であった。
那古船形駅周辺には、崖観音(大福寺)とその旧鎮守である船形諏訪神社もある。