徳丸北野神社は、東京都板橋区の、都営三田線の高島平駅より南へ徒歩20分の地に鎮座する鎮守。当社に関する詳細は徳丸北野神社の記事を参照。
当社では、毎年2月11日(日程固定)の建国記念の日に田遊びが行われる。東京の「田遊び」といえば、同じ板橋区内の隣接地区に残る赤塚諏訪神社と当社のものが有名で、ともに国指定重要無形民俗文化財かつ板橋区指定無形民俗文化財となっている(他に区内の赤塚氷川神社にも田遊びが現存する)。
徳丸北野神社 田遊び
徳丸北野神社で毎年2月11に開催される田遊びは、五穀豊穣と子孫繁栄を祈念する農村儀礼で、かつては旧暦1月11日に行われていた。由緒では平安時代の長徳元年(995年)1月11日に京都の北野天満宮を勧請して当社が創建された際に田遊びが奉納されて以来の行事であるとしているが、現在の形に固まったのは江戸時代初期とされる。
当日は朝に餅をついて田遊びの用具を作成したのち、17時の春季大祭で「降神の儀」を行い、18時より約2時間、拝殿前のモガリ(仮設舞台)でその中央に据えられた太鼓を田に見立てて田遊びが奉納される。なお、かつては田遊び後にどんどん焼きも行われていたが、第二次大戦中に途絶えた。
- 町歩調べ:田を耕す前に苗代田の数を数える
- 田打ち:田を荒起こしする
- 田うない:荒田をならす。一同が鍬(刃は餅製、柄は木製)を携え太鼓の周りを回る
- 代かき:田に水を入れならす。一同が鍬を担いで太鼓の周りを回りながら牛を出す
- 種まき:大稲本(主導者)・小稲本(補佐役)が笊の種もみを四方に蒔く
- 鳥追い:蒔いた種が鳥に食われないよう、大稲本・小稲本がササラ(篠竹2本)を擦り鳴らす
- 田まわり:大稲本・小稲本がササラを擦りながらひと回り
- 春田うない:太鼓の周りを周りながら田をうなう
- 田かき:鞍に見立てた餅を背に載せた牛が再登場
- 田ならし:牛を洗い、施肥後、大稲本・小稲本が農具「いぶり」で田をならす
- 田植え:子供が扮する早乙女を胴上げ、稲の成熟と子孫繁栄を祈願
- さなぶり:田植え後の休養。ヨネボウ(穀物の種子を象徴、男根を象った藁人形)、飯櫃、抱擁するヤスメと太郎次、獅子、馬、矢などが西参道から舞台へと向かう。これらは村内の悪疫や悪魔を祓い、稲の害虫を殺すもので、舞台上の一同は扇子で呼び込みを行う。
- 田の草取り
- 田まわり
- 稲刈り:大稲本・小稲本は木製鎌と、稲を表す松と梅の枝を持って稲刈り、次いで手拭いで脱穀の所作
- 倉入れ:太鼓の上に飯櫃、鞍、籠、ヨネボウ、笊を載せ、大稲本・小稲本が扇子を煽ぎながら手打ちとなる
なお、一連の儀式のほとんどは社殿に向かって行われるため、拝殿前(舞台北側)に見学位置を確保できなければまともに見ることはできない。唯一「さなぶり」のパートのみ、舞台西側の方がよく見える。