富岡八幡宮は、東京都江東区の、東京メトロ東西線・都営大江戸線の門前仲町駅より東へ徒歩5分の地に位置する鎮守社。当社に関する詳細は富岡八幡宮の記事を参照。
8月中旬に催される例大祭「深川八幡祭り」は江戸三大祭の一つともされる大規模なもの。
寛永15年(1638年)に若君の祈祷を申し付けられたことに始まり、同20年(1643年)には神輿渡御が行われた。寛永19年(1642年)に将軍徳川家光が長男家綱の成長を祈念して行わたのがこの祭礼の始まりで、翌年には八幡宮の宮神輿と氏子の山車が巡行した。文化4年(1807年)には押し寄せた観客で永代橋が崩落し死者が多数出るほどの人気を誇った祭礼である。
富岡八幡宮 深川八幡祭
8月15日前後に催される富岡八幡宮の例大祭は「深川八幡祭り」や「深川祭り」とも呼ばれ、江戸時代から著名な祭礼であり、江戸三大祭の一つに数えられることもある大規模なもの。また神輿行列に水を掛けるので、水掛け祭と呼ばれる祭礼の一つである。
三年に一度の本祭では、土曜日に鳳輦が車渡御を行い、翌日曜日に氏子の町神輿50数基の大規模な連合渡御が組まれる。
本祭の翌年は子供神輿が連合渡御を行う。そしてその翌年(つまり本祭の前年)は、巨大な本社二の宮神輿が渡御する御本社祭が催される。
地下鉄の門前仲町駅や深川不動堂から富岡八幡宮にかけては、多数の露天商が出店する。
鳳輦渡御(本祭の年)
本祭の年の土曜日には、神幸祭として鳳輦がトラックで渡御する。車列は予備車も含めると10台以上となり、氏子の御神酒所で停まって巫女舞を奏上する。
先導の前駆車やパトカーに、神職・太鼓・猿田彦・大榊を乗せたトラックが続く。
次に続くには舞姫の、更には鳳輦のトラック。
舞姫は御神酒所でこのように舞を舞う。
八幡宮の神霊を宿した鳳輦は昭和5年製作。第二次大戦前は、牛車に乗せて巡行した。
舞が終わると、観覧していた氏子らは賽銭受車の荷台におひねりを投げ入れる。区間によっては、この後に人力車に乗った宮司が続く。
次に、神職、氏子総代、崇敬会役員らのトラックが3台続く。このあとは、予備車や用具車など。
町神輿の連合渡御(本祭の年)
本祭の年の日曜日には、金棒や手古舞などを伴った町神輿50基以上が深川一帯を渡御する。この行事こそが深川八幡祭の花であり、神輿の数もさることながら、別名「水掛け祭」の通り、神輿への派手な水掛けも見どころ。なお、神輿の担ぎ方は現在主流の江戸前担ぎとは違い、旧来のわっしょい担ぎである。
本社二ノ宮神輿渡御(本祭の前年)
本祭の前年の例大祭は御本社祭と呼ばれ(つまりこれも3年毎)、日曜日に神幸祭として本社二ノ宮神輿が、八幡宮の神霊を載せて氏子地域を渡御する。
本社二ノ宮神輿は平成9年製作。台輪幅4尺5寸、重量約2トンの大型神輿。なお、この後ろにはこの神輿を吊るためのクレーン車なども続く。
子供神輿連合渡御(本祭の翌年)
本祭の翌年には、日曜日に社前の大通りにて子供神輿の連合渡御が行われる。
毎年の行事
以下の行事などは毎年行われる。これらのほかにも毎年、各種の定番の芸能・演武が奉納される(うち能舞台のみはプロが行うので撮影禁止)。
例大祭の核となる祭典は、8月15日固定で社殿内で行われる。その際、巫女舞も奉納される。
特徴的な町神輿
富岡八幡宮の神輿といえばその巨大な宮神輿2基であるが、町神輿にも特徴的なものがいくつかある。
東陽一丁目町会の神輿は、大神輿1基と中神輿1基の計2基が六角神輿。うち大神輿は昭和27年頃の製作。
木場五丁目町会の神輿は、大・中・小の計3基が八棟造。うち大神輿は昭和26年製作。
牡丹二三丁目町会の神輿のうち、大神輿1基と小神輿1基の計2基は八棟造。うち大神輿は大正15年製作。
白河三丁目町会は中神輿1基が八棟造。