富岡八幡宮
富岡八幡宮(通称・深川八幡)は、東京都江東区の、東京メトロ東西線・都営大江戸線の門前仲町駅より東へ徒歩5分の地に位置する鎮守社。
戦前の社格は東京府(東京都)の府社。また明治初期に一時的に准勅祭社が定められた際にはその12社の1社となった(うち都区部にある10社は現在東京十社を名乗る)。
また戦後は神社本庁の別表神社となっていたが、平成27年に本庁との包括関係を解消した。
寛永4年(1624年)、神託により砂浜であった当地を干拓し、別当寺の永代寺と共に永代嶋八幡宮として創建。これについては幾つかの異伝がある(後述)。貞享2年(1685年)、富賀岡八幡宮と改称(富岡八幡宮などとも表記したが、当時は「とみがおか」と読んだ)。
深川南部の総鎮守であり、また豊洲・有明・台場・新木場といった埋立地も氏子域とする。
毎年8月15日を中心に行われる深川八幡祭(深川祭)は東京の代表的な祭礼の一つ。
石段両脇の大型の授与所兼灯籠は昭和34年建立。
RC造の社殿は昭和31年建立で、設計は角南隆など。拝殿・幣殿・本殿を連結した権現造で、うち本殿は八幡造。
弁天池には、富岡八幡宮創建前から当地にあった地主神の七渡神社(粟島神社を合祀)が鎮座。社殿は昭和47年建立。
永昌五社稲荷神社は昭和6年建立。近隣の稲荷社5社を合祀したもの。
RC造の末社合殿は昭和11年建立の六間社で、祖霊社・花本社、天満天神社、聖徳太子社、住吉社、野見宿禰社、車折社・客神社を合祀したもの。
三末社は3棟とも平成13年建立。左から富士浅間社・金刀比羅社、大国主社・恵比須社、大鳥社・鹿島社。
富士浅間社・金刀比羅社の背後には、平成14年築造の小規模な富士塚がある。
RC造の神庫は昭和11年竣功。
当社は江戸の勧進相撲の発祥地として、境内に相撲の始祖である野見宿禰を祀る野見宿禰神社があり、新横綱誕生時にはその奉納土俵入りが行われる。
横綱力士碑と大関力士碑をはじめ、強豪関脇力士碑、超五十連勝力士碑、巨人力士身長碑、巨人手形・足形碑、出羽海一門友愛之碑、釈迦ヶ嶽等身碑といった石碑もある。
神輿
ダイヤやルビーが散りばめられた、高さ4.4m、重さ4.5トンの、日本一を称する一ノ宮神輿。台輪幅は5尺で、製作された平成3年の初渡御以来、使用されていない。
深川八幡祭の御本社祭の年にはこの二ノ宮神輿が渡御する。平成9年製作で、台輪幅4尺5寸、重量約2トンと大型。
昭和5年製作の鳳輦は、深川八幡祭の本祭の年に氏子地域を車渡御する。第二次大戦前は、牛車に乗せて巡行した。
網代車も昭和5年製作。戦前は牛に曵かせ、宮司が乗って鳳輦とともに巡行した。
町神輿にも特徴的なものがいくつかある。東陽一丁目町会は大小の神輿2基が六角神輿。
八棟造の神輿もいくつかある。大神輿では木場五丁目町会と牡丹二三丁目町会、小神輿では白河三丁目町会、木場五丁目町会(2基)、牡丹二三丁目町会の神輿がそうである。詳細は「富岡八幡宮 深川八幡祭」の記事を参照。
年中行事
初詣
刺又乗り
1月7日には、ハシゴ乗りならぬサスマタ乗りが奉納される。これは非常に珍しい。この行事に関する詳細は「富岡八幡宮 刺又乗り」の記事を参照。
骨董市・フリーマーケット
富岡八幡宮では毎月、第一日曜日に西洋の品を中心とした、第二日曜日に東洋の品を中心とした骨董市が立つ。また毎月15日・28日には同様にフリーマーケットが開かれる。
深川八幡祭
毎年8月15日を中心に行われる深川八幡祭(深川祭)は江戸三大祭の一つに数えることもある大規模な祭礼。3年毎の本祭では土曜日に鳳輦渡御が、日曜日に町神輿50基以上の連合渡御が行われる。本祭の前年の御本社祭では本社二ノ宮神輿が渡御する。本祭の翌年には子供神輿の連合渡御が行われる。この行事に関する詳細は「富岡八幡宮 深川八幡祭」の記事を参照。
中秋祭 & 深川十五夜祭り
江戸時代に深川祭が行われていた旧暦8月15日には、中秋祭が行われる。同時に、深川十五夜祭りとしてステージイベントが催される。この行事に関する詳細は「富岡八幡宮 中秋祭 & 深川十五夜祭り」の記事を参照。
酉の市
11月の酉の日には、境内社大鳥神社の祭礼として酉の市が立ち、縁起物の熊手を売る露天が数件、出店する。なお、同時に隣の深川不動堂においても小規模な酉の市が立つ。
富岡八幡宮の別当寺であった永代寺は明治の神仏分離で廃寺となり、境内の多くは深川公園となるなどした。現・深川不動堂もその境内の一部であった。深川不動堂の参道沿いに現存ある永代寺は、永代寺の子院であった吉祥院が明治に名跡を継承して改称したものである。
創建伝承と元宮・勧請元だと称する地
富岡八幡宮は、江戸時代初期の寛永4年(1624年)、神託により砂浜であった当地を干拓し、別当寺の永代寺と共に創建されたというのが一般的な創建伝承だが、明治2年に宮司が奏上した由緒では、奈良時代の天平宝字年間(757-765年)の創建としている。
長盛なる僧が霊夢に従い空海自刻の八幡神像携えて東国に向かい、当地に至ると小祠があったのでそこに八幡像を祀ったのが富岡八幡宮だともいう。
また、富岡八幡宮の元宮との伝承がある地としては、区内の富賀岡八幡宮、葛飾区の極楽寺・堀切天祖神社、横浜市の富岡八幡宮がある。
富賀岡八幡宮
同じ江東区内に鎮座する富賀岡八幡宮は、天平勝宝元年(749年)に創建され、当地から寛永4年(1624年)に深川に遷座したのが富岡八幡宮と伝え、そのため富賀岡八幡宮を元八幡とも呼ぶ。
富岡八幡宮側の創建伝承に富賀岡八幡宮が直接出てくるわけではないものの、富賀岡八幡宮が元宮だという伝承は江戸時代の地誌に広く紹介されている。当社についての詳細は富賀岡八幡宮の記事を参照。
極楽寺・堀切天祖神社
葛飾区堀切の極楽寺の縁起では、極楽寺の宝徳元年(1449年)創建時に境内に八幡宮が勧請されたが、これが後に富岡八幡宮となったとある。ただし現在は境内に八幡社はない模様。
当寺についての詳細は極楽寺の記事を参照。
また、極楽寺の伝承とも錯綜しているが、近くの堀切天祖神社(極楽寺が別当寺であった)の境内社堀切八幡神社は、当地の豪族が宝徳元年(1449年)に勧請し、天正年間(1573-92年)に社殿が洪水で流出し富岡八幡宮の地に流れ着いたとも言う。
富岡八幡宮(横浜)
横浜市金沢区の富岡八幡宮は、もともとは建久2年(1191年)、源頼朝が現・兵庫県西宮市の西宮神社を勧請して創建し、安貞元年(1227年)に八幡神を合祀して八幡宮となった。そして寛永年間(1624~1645年)に江戸深川へと分霊したと伝える(なお、東京深川の富岡八幡宮側にはそのような伝承はない)。当社についての詳細は富岡八幡宮の記事を参照。