浅草寺(東京都台東区)は聖観音宗の総本山(戦前は天台宗の別格本山)で、東京でも指折りの名刹であり、また最も有名な観光スポットの1つである。当寺についての詳細は浅草寺の記事を参照。
2月3日に行われる浅草寺の節分豆まきは東京都内でも有数の規模だが、そもそも寺院で節分行事を大規模に行ったのは浅草寺が最初だという。江戸時代は本堂で法要を行った後、役僧が本堂内の外陣の柱に登り、そこから3300枚の祈祷札をウチワであおいで堂内の参拝者に撒く行事だった。この行事自体は明治17年に禁止となったが、祈祷札は現在でも授与している。
現在では、まず午前中に付属幼稚園の豆まきがあり、昼頃からは年男らによる豆まきと福聚の舞(七福神の舞)の奉演が2回ある。最後、夕刻には4回に渡って有名人らによる豆まきが行われる。
また境内を接する浅草神社でも、浅草寺とは別に節分祭行われる。
幼稚園児らによる豆まき
まずは朝、浅草寺幼稚園の園児らによる豆まきが始まる。園児たちは幼稚園がある伝法院を出発し、本堂で本尊に拝した後、本堂前に勢揃いし歌を歌っていると鬼が登場し暴れる。幼稚園の先生が鬼たちと問答をすると、鬼たちは歌声に惹かれてきたということがわかり、鬼たちと一緒に豆まきをする。その後、鬼たちは本堂内へと去る。
浅草寺幼稚園の園児たちは伝法院から仲見世や宝蔵門を通って一旦本堂に入り本尊に拝した後、本堂前の階段に勢揃いし、歌を歌う。すると赤鬼と緑鬼が登場し、園児らの間で暴れる。
そこで幼稚園の先生が鬼たちを呼びつけ、鬼らと問答を始めるのだが、その問答によって、鬼たちは悪さをしにきたのではなく歌声に惹かれてきたということが判明し、鬼たちも皆と一緒に豆まきをする運びとなる。
豆まきに際しては、浅草寺では観音様の前には鬼はいないということで「鬼は外」とは唱えず「福は内」と唱える。
また鬼たちと園児たちの中間には大きなシャモジをもった「ごもっともさん」が何名かいて、シャモジを仰いだりする(滑稽なことをしているらしい)。
最後に鬼は園児たちの間を通って本堂内へと去る。
年男年女らによる豆まき
昼間、2回に分けて年男らの行列と豆まきがある。伝法院を出た僧侶や年男らの一行が行列して本堂入り、まず堂内で豆まきが行われ、続いて本堂東側から豆まきが行われる。その後、福聚の舞(七福神の舞)の奉演される。
伝法院から仲見世や宝蔵門を通って本堂に入る僧侶や年男らの練り行列。この後、僧侶らによる法要が行われる中、本堂内では年男らによって豆まきが行われるというが、外で豆まきを待つ者らには当然見ることはできない。
続いて本堂東側の特設舞台で年男らによる豆まきが行われるが、浅草寺では観音様の前には鬼はいないとして「鬼は外」とは唱えず、「千秋万歳(せんしゅうばんぜい) 福は内」と唱えながら豆を撒く。
その後、昭和39年に創始された福聚の舞(七福神の舞)が奉納される。
浅草神社での豆まき
午後には隣の浅草神社でも節分祭が催され、巫女舞の後に豆まきが行われる。
浅草神社でも浅草寺と同じく、神社には鬼はいないとの理由で「福は内」の掛け声のみ。
文化芸能人らによる豆まき
夕刻には浅草観光連盟の主催で「浅草文化芸能人節分会」が催され、夕刻に4回に渡って有名人による豆まきが行われる。