鎌倉宮
鎌倉宮は、神奈川県鎌倉市の、JR横須賀線・江ノ島電鉄の鎌倉駅より北東へ徒歩22分の地に位置する神社。
戦前の社格は官幣中社(現在、神社本庁の包括下にないのでその別表神社ではない)。
明治2年、後醍醐天皇皇子・護良親王(1308-1335年、大塔宮)が幽閉・殺害された地に、親王を祀って創建。
境内には親王が幽閉された土牢などがある。また宝物殿は明治天皇の行在所で、摂社の村上社と南方社の社殿は小学校の御真影奉安殿を移築したもの。
厄割り石では、カワラケ(素焼きの杯)に息を吹きかけて厄を載せ、石に投げつけてカワラケごと厄を割る。
摂社村上社は、吉野落城に際して親王の身代わりとなって自害した忠臣村上義光を祀る。
社殿は昭和9年に鎌倉第二尋常高等小学校の御真影奉安殿として建立したもの。
社前には平成16年に彫られた義光の木像「撫で身代わり様」があり、病気平癒を願って参拝者が撫で回す。
摂社南方社の祭神は親王の世話をした南御方(藤原保藤の娘)。
社殿は昭和9年に鎌倉第一尋常高等小学校の御真影奉安殿として建立(当時の写真と比較すると、少なくとも躯体は建て替えられた可能性あり)。
当時東光寺境内にあったこの土牢が、親王が幽閉された所と伝える。
なお、境内には殺害された親王の首が捨てられたという御構廟もある。
現・宝物殿は明治4年築。明治6年の天皇行幸に際してはその行在所となった。
護良親王墓
護良親王墓は、鎌倉駅から北東へ徒歩25分(鎌倉宮からは東へ徒歩5分)に位置する。殺害された護良親王は理智光寺(明治4年廃寺)境内のこの地に葬られたと伝わる。
当所が宮内庁の治定墓(公式に認める墓)であるが、親王の墓について、異伝は全国各地にある。
鎌倉市内にも、妙法寺に墓と伝える石塔がある(『鎌倉史跡散策』は供養塔とするが根拠は不明)。
護良親王については、鎌倉の上記2ヶ所の墓のほか、以下のような伝承がある。
- 宮城県石巻市:親王は逃げ延びここで薨去。墓所は一皇子宮神社
- 新潟県長岡市:親王は逃げ延びここで薨去。墓所は大塔塚
- 群馬県藤岡市:大塔寺天満宮は親王の墓所
- 神奈川県横浜市:親王の首を持ち去り柏尾町王子神社に埋葬
- 神奈川県大磯町:山王町の石塔「おとう様」は親王の首塚
- 山梨県都留市:親王の首を持ち去り石船神社に奉納
- 長野県上松町:親王は逃げ延びここで薨去
- 静岡県静岡市:親王の首を持ち去り埋めた五輪塔あり
- 鹿児島県曽於市:親王の墓説がある五輪塔あり