葛原岡神社 & 源氏山公園
葛原岡神社は源氏山公園の一角にある。
葛原岡神社
葛原岡(くずはらおか)神社は、神奈川県鎌倉市の、JR横須賀線・江ノ島電鉄の鎌倉駅より北西へ徒歩21分の地に位置する神社。源氏山公園の一角にある。
明治20年、日野俊基を祀って、現・源氏山公園にあるその墓の近くに創建。日野俊基は後醍醐天皇側近の公家で、元弘元年(1331年)の元弘の乱で討幕を計画したとして当地で翌年処刑された。
戦前の社格は無格社であり、別格官幣社への昇格を目指して運動したものの果たせなかった。
この鳥居脇に社務所がある。当社の所在地として流布している「梶原5-9-1」はこの社務所の位置であって、社殿自体は「山ノ内1157-2」にある。
魔去ル石は「魔が去る」を「勝(まさる)」にかけ、盃を石に投げ当てて幸運を勝ち取るというもの。
合鎚稲荷社の社殿は平成12年、現・鎌倉歴史文化交流館に、松山市・石手寺の訶梨帝母天堂を模して再建されたもので、施設が市に寄贈された際、鳥居及び神狐像とともに葛原岡神社へ移築された。
現・鎌倉歴史文化交流館の敷地は大正年間は三菱財閥の岩崎小彌太が母の別荘を構えており、合鎚稲荷社はその時再興された稲荷社で、鳥居と神狐像は大正8年建造のものが残っていた。
源氏山公園
源氏山公園は、鎌倉駅の北西に位置する公園。昭和41年開園。
源氏山は、平安末期に起こった後三年の役(1083-1087年)で、八幡太郎源義家が出陣に際して、山上に源氏の白旗を立て戦勝を祈願したとの故事で旗立山、白旗山とも呼ばれるようになったという。
園内には源頼朝像や、国史跡の日野俊基墓・化粧坂などがある。
倒幕を企んだとして当地で処刑された日野俊基の墓は国指定史跡。明治20年、この墓の近くに、日野俊基を祀る葛原岡神社が創建された(墓自体は現在国有地であり、神社の所有ではない)。
源頼朝像は昭和55年建立。
化粧坂(けわいざか、けはいざか)は鎌倉七口の一つで、鎌倉街道上ノ道の出入口。海蔵寺方面から伸びる。
国指定史跡で、ユネスコ世界遺産暫定リスト「武家の古都・鎌倉」(イコモスに不登録勧告され推薦取り下げ)の構成資産でもあった。