東勝寺跡
東勝寺跡は、神奈川県鎌倉市の、JR横須賀線・江ノ島電鉄の鎌倉駅より東へ徒歩13分の地に位置する寺院跡。
元弘3年(1333年)、最後の執権北条高時は一族郎党と東勝寺に立て籠もるも最後は寺に火をかけて自害し、ここに鎌倉幕府は滅亡した。
国指定史跡であり、またユネスコ世界遺産暫定リスト「武家の古都・鎌倉」(イコモスに不登録勧告され推薦取り下げ)の構成資産であった。
東勝寺は後に再興され室町時代には関東十刹第三位に列したが、戦国時代頃に廃絶した。
東勝寺橋は、東勝寺跡の手前 [地図] で滑川に架かる鉄筋コンクリート橋。大正13年架橋。鎌倉市景観重要建築物。
北条高時が自刃したと伝わるやぐら。北条高時は宝戒寺にて徳崇大権現として祀られており、このやぐらも宝戒寺が管理している。
東勝寺の後身と伝える寺院
上記のように鎌倉の東勝寺は最終的に戦国時代頃に廃絶したが、藤沢市と逗子市にそれぞれ後身と伝える寺がある。藤沢市高倉の東勝寺と、逗子市池子の東昌寺である。
藤沢市の東勝寺
藤沢市の東勝寺は臨済宗円覚寺派の寺院。
元弘3年(1333年)に鎌倉・東勝寺で執権北条氏が滅亡したことを悼み、南北朝時代の14世紀に密かに創建されたと伝える。山号の点燈山は「再び燈を点じる」の意を表す。
東勝寺
神奈川県藤沢市高倉258 地図
逗子市の東昌寺
逗子市の東昌寺は高野山真言宗の寺院。
鎌倉・東勝寺で執権北条氏が滅亡した際、東勝寺住職の信海和上が本尊の大日如来像と共に当地に落ちのび、東勝寺を再興したと伝える。江戸時代に東昌寺と改称。
東昌寺
神奈川県逗子市池子2-8-33 地図