永福寺跡
永福寺跡は、神奈川県鎌倉市の、JR横須賀線・江ノ島電鉄の鎌倉駅より北東へ徒歩27分の地に位置する、中世の大寺院跡。
文治5年(1189年)の奥州合戦後、源頼朝が戦死した将兵の供養に建てた寺院で、平泉中尊寺の二階大堂を模したと伝える。建久5年(1194年)に中心的な二階堂・薬師堂・阿弥陀堂が揃い、当時は鎌倉の代表的な大寺院の一つであったが、応永12年(1405年)に焼失・廃絶した。
国指定史跡であり、またユネスコ世界遺産暫定リスト「武家の古都・鎌倉」(イコモスに不登録勧告され推薦取り下げ)の構成資産であった。
現在、伽藍の基壇や浄土式庭園が復元されている。
南翼廊は伽藍の南端で池に臨む廊下で、東端に池に突き出る釣殿(遊宴用の建物)があった。
中心となる薬師堂・二階堂・阿弥陀堂のうち中央の二階堂のみが二階建で、池の反対側からは反橋が架けられていた。
北翼廊は伽藍の北端で池に臨む廊下で、南翼廊と同様、東端に池に突き出る釣殿があった。
遣水跡は北翼廊の北側にあったが、整備公開にあたり盛土してその上に新たに遣水が復元された。
境内には南北200mの池を中心とする浄土式庭園が造られていた。
中ノ島は、池の南端で広がっていた池の中央にあった。現在は周囲の池は埋め立てられている。
浄光明寺に移築されたと伝わる阿弥陀堂
市内扇ガ谷にある浄光明寺の阿弥陀堂(仏殿)は1668年建立で鎌倉市指定有形文化財だが、この阿弥陀堂には永福寺より移築されたとの寺伝がある。『鎌倉市史』はこの件について、1668年まで永福寺跡に堂が残っているとは考えられないので、古材を活かした大修繕かと推測している。