広見寺
広見寺(廣見寺、こうけんじ)は、埼玉県秩父市の、秩父鉄道の大野原駅より南へ徒歩5分の地に位置する、曹洞宗の寺院。山号は大林山。
南北朝時代の明徳2年(1391年)、本堂裏の妙見池畔に草庵を結んでいた良産禅師の前に、妙見池の蒼龍が現れたので、説法し戒を授けた。龍は当地を寄進したので、堂宇を建てたのが創建。
曹洞宗は秩父地方最初の寺院としてその筆頭的立場にあった。
境内は庭園を含め、良く整えられている。また、トイレの神である烏枢沙摩明王を祀る堂や、県史跡の石経蔵もある。
妙見堂は広見寺の鎮守。当寺は妙見宮と関係が深い(後述)。
惣門は江戸前期頃に当たる17世紀の建立。秩父市指定有形文化財。
惣門内には池泉庭園がある。
三門(飛龍門)は平成11年建立。表側には金剛力士像が、裏側には普賢菩薩像と文殊菩薩像が収められている。
本堂は大正7年建立。
本尊は三世仏。
坂東西国堂は平成26年建立。坂東と西国の三十三ヶ所の観音を祀る。
平成26年に設けられた烏枢沙摩堂は、トイレの神である烏枢沙摩明王を祀る。
本堂脇の西門を出ると、埼玉県指定史跡の石経蔵(せっきょうくら)がある。
礫岩を掘った石室には、大般若経が書かれた数千個の川原石が収められている。明和年間(1764-72年)に大般若経の功徳で民の救済を図ったとも、天保の大飢饉(1833-36年)で寺が施米する際に造られたとも伝える。
広見寺と妙見信仰
平安時代の10世紀中頃、妙見菩薩を信仰した平良文は、妙見寺(高崎市引間町)から秩父に妙見宮を勧請し、これが秩父での妙見信仰隆盛の基となった。
妙見宮は最初は広見寺の南東方の丘である「音窪」に鎮座し(それ以前に大野原の前山に祀られていたとも)、後に広見寺周辺に遷座したとされる。
嘉禎元年(1235年)に秩父神社が焼失すると、この妙見宮は遷座を繰り返しながら(跡地伝承地が妙見七ツ井戸と妙見塚として残る)秩父神社境内に遷座してその中心となり、秩父神社も秩父妙見宮などと呼ばれ、以後は明治維新で旧に復するまでそれが続いた。
また当寺の創建伝承においても、音窪の池に棲む龍が、その麓の小庵で座禅を組む僧の前に現れ説法を乞い、説法を受けて仏戒を授けると土地を寄進し、広見寺が創建されるとその守護神となったとするものがある。この龍は妙見菩薩の化身とされ、現在も当寺には鎮守である妙見堂が立っている。
近くには他に龍石寺もある。