常楽寺 & 河越館跡
常楽寺および河越館跡は、埼玉県川越市の、東武東上線の霞ヶ関駅より北東へ徒歩15分の地に位置する寺院と史跡。
河越館は平安末期に河越氏が築いた居館で、常楽寺はその持仏堂を起源とする時宗寺院。
河越館跡は、常楽寺も含めて国の史跡に指定されている。
常楽寺
常楽寺は、国指定史跡河越館跡の一角にある時宗の寺院。
正式には河越山三芳野院常楽寺。
河越氏の持仏堂を起源とし、その後は浄興密寺という密教寺院となっていたが、嘉元3年(1305年)に時宗の常楽寺と改めた。
表門は18世紀前期の建立。左甚五郎の手によるとも伝える。
山門は1788年建立。
本堂は平成16年建立。
本尊は阿弥陀如来。
観音堂は昭和61年改築。
十一面観音を祀る。
河越館跡
河越館跡は、河越館跡史跡公園として整備されている国指定史跡。
ここには12世紀後半から、応安元年(1368年)に河越氏が没落するまで、河越館(河越氏の居館)があった。
それ以降は、15世紀後半まで常楽寺が寺域を拡げた。
明応6年(1497年)には山内上杉氏が河越城攻略のため、寺域も整理して陣所(上戸陣)を築き、7年間維持された。
その後の経緯は発掘調査では不明だったが、北条氏重臣の大道寺氏が陣所を置いたとも伝える。が、その場合も天正18年(1590年)の北条氏滅亡で廃止となったと推測される。
なお、近くにある上戸日枝神社は、河越氏が河越庄を京都東山の新日吉山王社(現・新日吉神宮)に寄進してその荘官となった際に、新日吉山王権現として勧請されたと考えられている。
遠くに見える瓦屋根は常楽寺。
広場を囲む溝は13~14世紀(河越館)の堀跡で、本来は最大幅4m、深さ2mだが埋め戻されている。
舗装部分が上戸陣の堀跡。