上戸日枝神社
上戸(うわど)日枝神社は、埼玉県川越市の、東武東上線の霞ヶ関駅より北へ徒歩10分の地に位置する、上戸・鯨井・的場3ヶ村の鎮守。
貞観年間(859-877年)、比叡山の山王権現(現・日吉大社)を信仰する僧が、この地域で病に倒れた。しかし夢に日吉の神が現れてその神助で快癒。神は「川を越えた所に身代わりで死んだ猿がいるので、そこを日吉山と名付けて我を祀れ」と告げたので、新日吉山王権現が創建された、とするのが縁起。
実際には、永暦元年(1160年)に京都東山に創建された新日吉山王社(現・新日吉神宮)に、河越館の河越氏が河越庄を寄進してその荘官となり、新日吉山王権現(新日吉山王宮)を創建した、と考えられている。
明治元年、日枝神社と改称。
当社は東京の赤坂日枝神社の、当初の勧請元とされる(後述)。
本殿は1686年建立。川越市指定有形文化財。
左から大地主神社、御嶽神社、白山神社。
左から疱瘡神社、八幡神社、八坂神社。
このほか、八坂神社や戸衛神社の祠がある。
赤坂日枝神社
赤坂日枝神社は、東京都千代田区の永田町に鎮座する、旧江戸城・皇城の鎮護。
縁起では文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城の守護神として、川越の仙波日枝神社を勧請した、と伝える。
しかし赤坂日枝神社の社史は、それ以前に江戸氏等が江戸館の鎮守として上戸日枝神社を勧請したのが創祀で、太田道灌はそれを再興した、と推測している。
江戸氏は河越氏の同族(坂東平氏・秩父氏の分流)で、平安末期から居館(江戸館)を江戸に構えた。江戸館の場所は不明だが、後の江戸城の地とする説がよく聞かれる。
なお、上戸日枝神社境内には「江戸氏は河越氏の分れで、貞治元年(1362年)に江戸館を築く際、河越氏の氏神である上戸日枝神社を館の鎮守社として勧請した」旨を記した石碑があるが、年代等の根拠は未確認。
